読めないものを、埋めきれないものを、潜ませて話が進行する。望月先生の語り口の独特の断面図に突き動かされる。
動画と異なり、漫画は連続した流れの中の、たった数コマだけが提示されて、そこで話をステップバイステップで決定付ける。その選ばれたコマと、同様次々選ばれたコマと繋がれる。動画ならその間に連続してあるはずのものを、漫画は大量に省き、切り取られて構成された一つ一つのコマが、非連続だった成り立ちを離れて連続し、ひと繋がりのように構成して出来上がる。(説明無用だろうが)そこに無意識の想像の補完と暗黙の了解があって、読み手はこのお約束を下に漫画を読む。
しかし、切り取られたものは、漫画家の感性そのものだから、それらの表し方が、読者の私に、その漫画のクオリティを感じ取らせてくれる。
絵の上手下手や粗密さの演出力や白黒対比など先生達の技の要素は多様。こちらを圧倒する技量をお持ちの先生が大勢いて、センスにひれ伏してしまうことがよくある。それに加えて、台詞のテンポや言葉の使われ方、またストーリー展開の才能など、プロだから当然と思う人もいるかもしれないが、よくこんな物語を構築するものだと感心させられてしまうこと、または、その創作力やスケールに敬意しかない、ということも。
望月先生は、どうだ、バーン、という感じの先生ではないのに、実に強い印象を残す作り方をされて、その存在感に目が行ってしまう。
絵について、デッサン云々と批判する人がいるのは知っているが、それがなんであろう。いや、作家の数だけ語り口も絵柄も存在するが、望月先生の才能は、綺麗な絵でもなくカラリとした明るさにもない。凄く個性をアピールしてくるでもなし、万人に受けようと思って描いている訳でもない。
この、なんとなくウェットで少し黒味を強く思わせる作風が望月先生ワールドとして、強い存在感を放つ。少女漫画の世界に居る(居た。また描いて下さい!)にしては清々しい位、王道路線でないのが見つけ物した気分にさせてくれる。ご機嫌取りの作品にばかり手を振れない。似た顔OK。
先生のアートに触れる機会を得られて嬉しかった。
主人公(含め)等重要キャラが自分の思うように感じたり動いてくれないことを、読者なら受け手であり作り手でない立場、そこ解っているはずなのに、苛立つ人がたまに居るが、私は媚びない作家は好きだ。
(と言って、読者サービスも歓迎だが)