闘病…とはとても言えない少女の悲惨な境遇。日野先生のグロテスクな描写とキャラクターの慟哭は、やはり胸に迫るものがある。主人公の少女には、なんらの落ち度もない。ただ、突然の不幸に慄き苦しむしかないという悲劇、しかもそれは「死」という救済すら望めないのだ…。しかし、この作品は通常の日野先生とは一味違った結末を迎える。日野先生の描く異形の最期とは、ほとんどが「孤独」であった。例えば毒虫小僧や恐怖のモンスター、代表作たる蔵六の奇病など、周囲(社会)から隔離され、家族からも離れ、あるいは見捨てられ、その孤独(多くは「深海」として描かれる)に最後の安らぎを見出す。それは絶望の果ての、関係性の消失の、最後の救済であり、だからこそなんとも言えない読後感を残す。しかし、今作は少し毛色を変えて、一転「生」への繋がりを見せる先生には珍しいラストであった。はっきり美しいと言える救済のラストは、主人公にとってもそうだか、見放すことなく寄り添った家族にとっての救いでもある。今まで哀しき異形の最期を描き続けてきた先生だからこその今回の救いのある結末は、非常に胸を打つ。先生の作品を鑑賞するとき、そこにはグロテスクで悲惨な境遇に陥る登場人物達を観察する薄ら暗い快感を伴う。だが、先生の作品はそうしたただの読者の怖いもの見たさやエグいものを見たときのなんとも言えない高揚感を満足させるだけのものではなく、悲惨な境遇において(多くは救いのない)のキャラクターの感情や言動を通して、先や死、美醜といった価値観の陰影をクッキリを浮き彫りにし、そこに人の、命の尊厳とは何かという決して説教がましくはない問いかけを我々に与えてくれるのだ。