シェイクスピア作品の現代アレンジお見事!!





2023年11月12日
河原先生の手にかかると、なんのぎこちなさも無い。普通、仰々しい立ち回りが残ったり、同時代感覚的に落とし込みきれなかった文化ギャップがあったり、翻訳言葉調にいかめしさ古めかしさがつきまとう。映像作品などに感じる大量の言葉数と格闘する役者達、というものが此の漫画のほうのキャラ達からは一切なかった。これは凄い事だと思う。
沢山のシェイクスピア劇翻案がなし得なかったことなのじゃないかと思う。
私は「から騒ぎ」を鑑賞したことはないのだが、それで乍ら、オリジナルの良さを壊してもいないと想像する。扉絵等で、そのオリジナルはなんなのかを視覚的に認知させている巧みさ。河原先生の豊かな才能に脱帽するばかりである。
ふたつの学校の学生達とその両校共同イベントへの置き換えは、キャラの命が自然な形で、現代高校生群像劇に移し換えられた、ということ。河原先生が豊かな発想力を駆使した世界。そこに優秀にして大胆な翻訳を施して少女マンガの舞台に古典持ち込んだことを意味していて、読んでいて舶来臭も無ければ、消化出来ないような異物感も皆無。
自然に読めた、そこが驚きでならない。
元は何か、というのを、一旦頭から離しておいも、学園物一作品としてのよくまとまった恋愛漫画として成立、ひと組のカップルの始まり、とそして次に標的として互いに相手を意識させられた罠の存在。こうした空気を促すことに協力ムードの仲間と、また、急に花咲き出す周囲に対してなんとなく不快感を示す者達。
蔦の絡まる、じゃないけどそんな歴史もありそうな私立の小中高一貫制の学園設定が、大道具的に効いている。だから、昔からなんとなくあっちを知らなくはない、別学で女子校男子校特有の、年頃なのに異性への距離感微妙なところも、痒いところに手が届く丁寧な設定。腹を探り合うかのスタンスが嵌まる。同じ学舎でない故の、会えない時間がもたらす何かがある、という構造が、コメディにも、ちょっとした悲劇の増長にも、クールダウンもヒートアップにも。
空回りする誤解の終焉到来と克服は意外にあっさりしていたが、1巻内に収められていることの身の詰まり方は寧ろ濃く、それでいて散漫となってない。
絵は、彼等の設定年齢より年上に感じる。
罠に嵌めるとき、作為なのだが輪をかけて作為臭さがあったようには感じた。
沢山のシェイクスピア劇翻案がなし得なかったことなのじゃないかと思う。
私は「から騒ぎ」を鑑賞したことはないのだが、それで乍ら、オリジナルの良さを壊してもいないと想像する。扉絵等で、そのオリジナルはなんなのかを視覚的に認知させている巧みさ。河原先生の豊かな才能に脱帽するばかりである。
ふたつの学校の学生達とその両校共同イベントへの置き換えは、キャラの命が自然な形で、現代高校生群像劇に移し換えられた、ということ。河原先生が豊かな発想力を駆使した世界。そこに優秀にして大胆な翻訳を施して少女マンガの舞台に古典持ち込んだことを意味していて、読んでいて舶来臭も無ければ、消化出来ないような異物感も皆無。
自然に読めた、そこが驚きでならない。
元は何か、というのを、一旦頭から離しておいも、学園物一作品としてのよくまとまった恋愛漫画として成立、ひと組のカップルの始まり、とそして次に標的として互いに相手を意識させられた罠の存在。こうした空気を促すことに協力ムードの仲間と、また、急に花咲き出す周囲に対してなんとなく不快感を示す者達。
蔦の絡まる、じゃないけどそんな歴史もありそうな私立の小中高一貫制の学園設定が、大道具的に効いている。だから、昔からなんとなくあっちを知らなくはない、別学で女子校男子校特有の、年頃なのに異性への距離感微妙なところも、痒いところに手が届く丁寧な設定。腹を探り合うかのスタンスが嵌まる。同じ学舎でない故の、会えない時間がもたらす何かがある、という構造が、コメディにも、ちょっとした悲劇の増長にも、クールダウンもヒートアップにも。
空回りする誤解の終焉到来と克服は意外にあっさりしていたが、1巻内に収められていることの身の詰まり方は寧ろ濃く、それでいて散漫となってない。
絵は、彼等の設定年齢より年上に感じる。
罠に嵌めるとき、作為なのだが輪をかけて作為臭さがあったようには感じた。

いいねしたユーザ2人
-
romance2 さん
(女性/60代~) 総レビュー数:1852件
-
アヲアラシ さん
(女性/-) 総レビュー数:100件