このレビューはネタバレを含みます▼
好きとか愛してるとかっていう言葉は、目には見えない、存在があやふやな「感情」を実際に存在しているものとして形付けるためにつけられたもので、本当は「感情」は、単なる言葉では言い表せないもっと複雑なものだと思う。
この作品は、その「感情」の複雑さと、複雑だからこそ自分では知らなかった「感情」もあるということ、そして、自分では複雑だと思ってた「感情」も、他人の目から見ると単純なこともあるということを描いていると思った。
ここが良い!というところを説明しようとすると話が長くなるので、簡潔に、、1、八千代は藤次と出会って、自分の中の知らなかった「感情」を知り、藤次は八千代とわかれて、自分の中の知らなかった「感情」を知ったところ。2、聖人と藤次の関係。
3、聖人が藤次を本気で好きになったからこそ、藤次が気づいていない藤次の気持ちに気づいたところ。
4、最後、藤次が自分の「感情」を、自分の持つ言葉で一生懸命八千代に伝えようとしているところ。
人によっては、聖人と付き合ってるのに、自分では気づいていないだけで八千代に対して未練があるという藤次は不誠実に見えるしモヤモヤすると思う。(八千代は藤次のことがまだ好きだと自覚しながら告白してきた女性と結婚したけども、、)。
でも私はそういう藤次を人間らしいと思ったし、聖人のことをちゃんと好きで、大切に思っていることには変わらないから、無知であることが悪いと思わない。
(ただ単に私が、時系列では『愛だなんて知らないし』(単行本では0話みたいな扱い)と『愛だなんて言わないから』(単行本では1話)の間にある単行本未収録の同人誌を読んだことがあるからそう思えるだけかもしれないので、作者が描いてる同人誌も読むことをおすすめします!)