海のほとりの王国で・・・
」のレビュー

海のほとりの王国で・・・

水樹和佳子

エドガー・アラン・ポウ作最後の詩に触れて

ネタバレ
2024年6月8日
このレビューはネタバレを含みます▼ 作中はポウとしてるので合わせたがあの有名作家ポーのこと。亡くなられた際に二日後新聞に載せる詩として準備されていたという長い詩が主人公の心情に重ねて用いられている。
理想の相手と思っていた亡妻のことを忘れられないまだ老いた訳でもない主人公が、妻の没後にどう生きたか。2作品は繋がっている話。表題作71頁ぶ~け誌1980年。「シェラの空間」70頁ぶ~けデラックス誌81年2月10日号。
「人魚姫」45頁りぼん78年12月号掲載。柱で先生御本人が昔のものを出すのは恥ずかしいが頁数の関係で云々とご説明されていた。結果として「海のほとりの王国」に見た感じ近寄せたタイトルが揃った選択ではある。
私は「人魚姫」こそが今のハピエン指向のきっかけのひとつとなった、幼児期のトラウマ読書体験。大概のお伽話は「王子と末永く幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたし」とあるのに、泡となり消えてしまう童話。好きになった人が主人公と永遠に幸せになる将来が無いという、如何にも現実的シビアさに打ちのめされた。初めて人魚姫の辛さを通して、出会っても寂しさ哀しさ痛さ伝わらなさを体感し、夢のような素敵な人を知っても、距離のある人を見つめる息苦しさを知ってしまった。幼かったけれど、私がペシミストなのは人魚姫の影響。
それを下敷きにした話は、ハピエン改変されない限り出来れば一生読みたくなかったが、少しマイルドな仕上がり。一点、「足が大地を刺しつらぬく」の「が」と「を」に、出来たばかりの弱々しい足に出来る動作なのだろうか、とは思ってしまった。
「海のほとりの王国で…」と「シェラ空間」は、彼がリッチで主人公ナンシーがメイド、なさぬ仲の家族扱いの同居生活、豪華な屋敷、とあるきっかけでついに彼が変わる、といったような要素がソフィスティケイテッドハーレクインの趣。ストーリーに於けるトムの果たす役割が何かと大きい。
三流映画のヒロインのような、と自嘲する彼女の心境、理解し易い設定、前に進むことを恐れて躊躇う心情の場面はもどかしさをうまく引き出して少女漫画的な醍醐味も入ってる。
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