このレビューはネタバレを含みます▼
【追記の追記】作画の素晴らしさにも言及せねば!人物の身体の描き方が美しい首のライン腕のライン。目の描き方も素敵。服の描き方が好き。神父の服が美しい。逮捕される前、2人が街中で大切な会話を続けるシーン。自首とか出頭など直接の表現はないまま、私が気が付かないうちに自然に少しづつ画面に警察署の看板の一部や警官の姿が描き込まれていくことに途中で気がつき「出頭するんだ!!」と気持ちがギュッと絞られました【追記】この作品はかなり読む人を選ぶと思います。私は秋鷹が名札を見つけたシーンでかなりダメージを受けました。暖かいハッピーエンドを読みたい時は避ける方が良いかも【以下もとのコメント】作者様の強い意思と意図を感じるストーリーでした。赦しが大きなテーマになっているっぽいけど私は教養がないので、そもそも「許し」と「赦し」の定義もはっきり理解してないなあと調べたら「許す」→誰かがこれから行う行為を許可することとありました。permitとかallowに近い感じですかね。対して「赦す」→誰かがすでに行ってしまった行為を責めないこと。。なるほど、責めないんですね。英語のforgiveに近いかな。きっと「責めない」=「償わなくていい」ではないんでしょうね。というかもしかすると赦されてからじゃないと償えないのでは?と思い至りました。償ってから初めて赦されるように感じますが、逆かもと。木場はずっとずっとずっと「父親に起因する自分の罪」を抱え続けていましたよね。きっと償いたい気持ちはあふれていたはず。秋鷹が現れて罪を告白して、赦されて、ようやく償いが始まったのかなと感じました。ただ切ないのは「秋鷹の失われた人生は?」「もう話すこともできない幼い被害者は?」「じゃあ被害者の両親は?」誰が、誰の、何を、何のために赦すんだろ。いや、結局は各自の心の安寧のために赦すのがべストなのだろうなあとは思います。が、被害者母のように「自分の平和とか幸せなんてどうでもよい。幼くして命を奪われた息子の仇を討つことが残りの人生の意味だ」と思うこともまた正しいと感じます。犯人を殺したところで、きっと悲しいほどなんのカタルシスも得られないと思うけど、あえて修羅の道を選択することも「許されてる」はずですね。。切ないなあ。できれば私は「赦す」人生を選択したい。自分が楽になりたいから。