このレビューはネタバレを含みます▼
親からの愛情不足のイケメンが・・というのはよくある話だけど、この作品は愛着形成不全のメンヘラを真っ向から真面目に描いている。
一話目の、雪の降る中、校庭でピンを探すエピソードは大半の読者がドン引きする本物のメンヘラ。漫画・ヒロインに都合のいいメンヘラじゃない。
何故、花野井君はメンヘラ花野井君になったのか。
親から放置されたのは勿論のこと、
親から受け継いだ資質(外国の他人を助ける為に自分を捧げる姿勢は方向性が違うだけで花野井君と同じ)や、
人からの影響、言葉や態度や出来事が丁寧に描かれていて、
花野井君何でそんな風に考えるん?という疑問に答えてくれる。
こんな花野井君の、幼い頃からの経験から来る認知の歪みと自虐がそう簡単に是正されるわけがない。
けれど、何故ほたるちゃんと上手くいったのか。
花野井君の過去の恋愛遍歴が、何がNGかを知る、メンヘラの学びの場であった事。
ほたるちゃんと圭吾君の人柄から受けた影響(肯定)と、頭を殴られるような気付きを与える言葉(否定)
八尾「一人だけという奴がほたこを幸せに出来るとは思えない」
姉「ほたる一人が100%の人間関係をぶつけられるんですよ」
メンヘラ花野井君が肯定と否定を経験しながら、生きる為に必要な事に気付き、ほたるちゃんの愛(ぶちかまし)を受け入れられるまでに成長するのに納得しかない。そこに至るまでに無駄なエピソード(経験)なんて一つもない。
一般的に全ての人に称賛される愛の形ではない。
けれど、完璧な人なんていないし、完璧な愛もない。
様々な人がいて、様々な愛の形がある。
銀司夫妻の愛は、花野井君達とは真逆だけど、これも一つの愛の形。銀司のパーソナリティーを理解し愛した故の、祖母の愛の形だった。
それに対して多少の罪悪感と後悔のある銀司が花野井君に寄り添い、影響を与え、曲解され、曲がって廻って足掻いてほたるちゃんにたどり着く。
「運命の人」(銀司の不始末ともいう)というキーワードの、一つの素晴らしい表現を見たと思う。
真面目で繊細で善良な二人であるからこその、悩みと、迷いと、救いに、読んでて癒されました。
あと4コマと、捕捉漫画も大好きです❤️
森野萌先生、素晴らしい物語を有り難うございました。番外編も楽しみにしています。