相互理解と依存は別物である





2017年2月17日
文章は表現力豊かでキレイ。自閉症(高機能含む)の人の強みである、色彩や音楽まで目に浮かびそうな素晴らしい表現力です。(*勿論全ての自閉症に当てはまる訳ではない)読者としては非常に複雑な気持ちになる作品です。内容より受け取り方に対して。高機能自閉に多い特徴として、健常者とは感性も現実認識も全く違います。(そもそもそんなもんみーんな違うのですが、健常とされてなんとなくやれる範囲を逸脱しているという事)それが悪い訳ではないですが、言い換えれば当人らにとっての事実が相手にとっての事実と大きく異なる可能性もある訳です。大衆は善悪白黒を二分化して、自分を善白被害者側に置くのが好きなものですが、それは無意味だし理解とも愛とも異なるものかと。他サイトの感想を見ても、健常の読者は「自閉症は可哀想・主人公を苛める○○は悪・理解してあげなきゃいけない」、非健常の読者は「理解されずワガママ扱いされる可哀想な私達の真実を健常者は理解して」といったものが多く、何も解決しないかと。「理解してあげなきゃ」と酔っぱらう健常者も大半は3日で忘れるでしょうし、健常とされる人の中にも病的な人はゴロゴロいますので、専門知識もないのに依存心や欲から溺れている人間に安易に手を出した末、逆切れ・共依存→共倒れになるのが目に見えてます。非健常者は非健常者で、境遇で致し方ない面もあるにせよ、自己憐憫と他人任せ意識が強い人が多いです。健常者は何でも簡単にできるように思っており、こんなに可哀想な障碍者の僕私を温かく助けてくれて当然と思っている節があります。実際は健常者だって大抵、大した能力はないのです。自己評価の高さから己の能力不足を認めたがらず、何でも非健常者の自己責任にしたがる健常側にもおおいに問題有ですが、他人、それも(自分にとって)迷惑をかけてくる相手から助けてなんて言われても応えられる能力なんてありません。さて、健常者と障碍者の違いってなんなのでしょう。健常者でも、作者のような文章を書ける人はそういません。健常者は可哀想な障碍者を助けてあげなきゃいけないなんてのは、どちら側が思うにしても傲慢で情けない事だと思います。この本の周囲からはお約束のように「理解を」と聞こえてくるのですが、彼らの言う理解とは何の事を指しているのでしょうか。

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まあ さん
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