このレビューはネタバレを含みます▼
暴力と謀略が渦巻く極道の世界を描いた『来世は他人がいい』。この物語を読み進める中で、私たちはある種のジレンマに陥ります。主人公・染井吉乃の「強さ」をどう定義すればいいのか、という問題です。
正直に言えば、読み手である私自身、彼女を「力はないのに威勢だけはいい」「啖呵を切るだけで中身が伴っていないのでは?」と揶揄したくなる瞬間がありました。深山霧島や鳥居翔真といった「怪物」たちが振るう圧倒的な武力や知略に比べれば、彼女の抵抗はあまりに微力で無謀に見えるからです。「力の強弱」だけを尺度にするならば、吉乃はただの「無力な女の子」という枠に収まってしまうでしょう。
でも、それではこの物語の真髄を見落としてしまいます。本作は単なる力の多寡を競う物語ではありません。「力はどう使うか、何のために使うか」という尺度に立ったとき、吉乃は誰よりも鮮烈な光を放ち始めます。
彼女の放つ激励や剥き出しの覚悟は、まだ大衆を動かす実績にはなっていません。けれど、最も近くにいる翔真や霧島は、その「芯」の強さに隠しようのない戦慄を覚えています。暴力や恐怖に屈しない彼らがなぜ震えるのか。それは吉乃が、保身のためではなく譲れない筋や誰かのために、自らの命すら平然と盤上に置く「王の器」を覗かせるからではないでしょうか。
その姿は、映画『サマーウォーズ』の陣内栄おばあちゃんを彷彿とさせます。栄おばあちゃんは、自ら戦う術は持たずとも、その人脈と「信じて応援する力」で人々の心を繋ぎ、絶望的な戦況を覆しました。吉乃が見せる今の覚悟も、将来彼女がその人間力で他者の力を引き出し、事態を好転させていくための巨大な布石に思えてなりません。極道の孫娘としての真の強さは、拳を振るうことではなく、その人望によって「周りが力を貸してしまう」魅力の中にこそ宿るのです。
現在、連載は休止中ですが、彼女の内なる魅力が今後どう発掘されていくのか、期待に胸が膨らみます。吉乃という魂がどのように状況を塗り替え、その器の真価を発揮していくのか。その瞬間が、今から待ち遠しくてなりません。