このレビューはネタバレを含みます▼
私は作中の挿話、暁星塵と宋嵐、阿菁、そして薛洋たちの物語が好きです。彼らの結末はカタストロフの極みで誰ひとり救われもしないけど、
それでも私はあの非道な薛洋は本当は暁星塵のことが好きだったのではないか、本当はずっと、暁星塵と阿菁と共に暮らしたかったのではないか、という思いがぬぐいきれません。薛洋の精神はとっくに壊れてしまっていたにしても、あの最期の瞬間にみせた彼の逡巡がいつまでも心に引っかかって仕方ないのです。彼が暁星塵や宋嵐、阿菁にした残酷な仕打ちを誰も許しはしないでしょう。大切に想う相手が出来た時、無双の剣士であってもそこに弱さが生まれるとはよく使われる警句ですが、それを未熟と切り捨てることは簡単でも、比翼の片方をもがれた瞬間のひとの心の脆さを責めることは私には出来ない。あの時薛洋は暁星塵を、宋嵐を罵り嘲りながら、自身の最後の望み(どんなに求めても訪れてくることのなかったもの、忘れてしまった思いであったとしても薛洋の無意識の領域の中にいつまでも沈んでいたもの)まで木端微塵に打ち砕いたように私には思えました。暁星塵と宋嵐の深い絆も、阿菁の暁星塵への憧憬も、薛洋が自分で踏みにじった心の欠片もそれぞれの形は違っていてもそれらを「愛情」と呼ぶのならば、薛洋は最初から自分がはみだし者であることに気が付いていたでしょう。暁星塵や宋嵐は云うに及ばず、阿菁はこれからいくらでも明るい道を歩いていくことが出来る。だって彼女は出会うべき時に大切なひとと出会うことが出来たから。自分には差し伸べられなかった手を彼女はたやすくつかんだから。だから薛洋は全てを見せたあと阿菁を殺したのかもしれません。残った自分の心の欠片の最後の一片を踏み砕くように。子供だった薛洋にもしあたたかい言葉をかけその人生を導くような人がそばにいたとしたら、彼はどんな生き方をしていただろう。そのひとが暁星塵だったとしたら…。私は薛洋に甘いかな。非道なのだけれど嫌いになれない、興味深い登場人物です。ちなみに私は暁星塵大好きです。「暁星塵」きれいな名前だなぁ…。彼は少し「天官賜福」の謝憐に似ているように思います。この挿話は長い本編の中の短いエピソードかもしれないけれど、私の心に彗星のようにいつまでも長い尾を引いて、忘れられない物語になりました。