多忙な人が友人のためにイタリア滞在の日程の一部に当たる数日間、フルアテンドしてくれた。
素敵な人で好きになってしまう。
ここまではもちろんいいのだが、ひかれ合う二人がそこにいて、それなのにヒロイン独りで拒絶。まとまった時間を共に過ごしていながら、ヒロインが彼に抱く好感を隠せているはずはない。だからこその彼の積極的アタックだろうと、思う。互いに発する相手への関心を、あの状況で、梯子を外すようなものだ。その上で、何度もアプローチさせるのは、イタリア男子設定故だろう。しかも、私の目には彼女は彼に一言もなく独りよがりで逃亡した。彼にしては最後のアプローチになるところでやっと、貴方は奥さまのことを忘れてないのだろうと、踏み越えられない理由を口に。
実父とイタリアで過ごせない時間、放って置かれたようでいて、実はヒロインこそたくさんの人を置き去りにしている構造の話。そういう行動をさせるのは原作者の作り方に負うだけのことだが、大きなコマで描かれた、彼と結ばれるシーンの相対的軽さが、シーン作りを目的化したようで気になる。電話も含め度重なる心へのノックは描かれ状況への感情移入は出来るものの、彼の求愛に応えるときは、我慢に我慢のほとばしりの絵的表現無く。
育ての父親や弟を捨てるみたいで、というヒロインの心情は分かるが、それとこれとは違う。
全て、ヒロインのロマンスの陰に回ってしまったように感じて、彼女の悩みや辛さに共感出来なかった。ストーリーで、マリオ父娘、アメリカの父と弟は、言うなれば「居るだけ」に近い。役回りがあり、ヒロインの方向付けに影響しているのだが、このストーリー、結局はヒロインの心の問題、それだけだ。気持ちわかるけれど、それでも亡くなった奥様や息子の身になってみてよ、と言いたくなる。一方アレッサンドロ父子はは中枢に位置して、ヒロインのイタリア滞在は趣旨が変わってしまった。
そこを、勿体つけて一冊使いきって描いた作品、と見える。二人が好きになっていく過程と、触れあう場面がぎこちないと感じる。別離後からのプロポーズ受諾への流れが、私には納得的ではなかった。
ヒロインのビジュアルが目が大き過ぎて子どもに見えた。この目の大きさは子ども向けに感じ、大人の恋愛を展開させるのにアンバランスに感じる。