侯爵の決断が全て。
でも、結婚出来るかどうかで愛を語れない訳でもない。社会的に制度的に許されるかどうか、だけ。結婚が最適な着地ではある。
幸せとはなんだろう、この問いに、唯一の解となるのが、愛情だけとつくづく思った。道ならぬ恋の、道、とは
人間の定めた道に過ぎない部分も多い。
主要な登場人物は皆、仕組みに収まるような(体制維持が期待できるような、という意味での)「まともな」恋愛をしていない。
逆にそんなものだろう、というのもある。
封建制度に守られて冨と権力を独占する特権階級、貴族。圧倒的な階級社会の世の中に、貴族の配下で起こるセクハラ、パワハラ。綺麗事では済まされない弱者切り捨てもあれば、ラブ最優先のHQがストーリーで満開させるシンデレラ型もある。愛かそれ以外か、の究極の両天秤、昔はその陰に無数の涙が、あっただろうな、と思う。相手が誰であるかを知ってから好きになるのではない、誰であっても好きになってしまったら止める事など出来ない、というのを描いた、私の好きなタイプの話。
堂々貫くのかこそこそ続けるのか断ち切るのかどちらを取っても、噂かまびすしい狭い社会の餌食になる。現代ではテレビや他の媒体が取って代わったけれど、出会いと交流の場はいつだってスキャンダル駆け廻る格好の餌場。
「わたしだけの」という邦題が子どもじみたように当初思えたのだが、報われない思いを断ち切れずにいた状況下、侯爵が気持ちを表しつつも他に探さなければならなかったことを、彼女の苦しみが解放される表現としては言い当てている言葉なんだと理解。
ヒロインの母親がかわいそう。どこにも働き場はなかったろうから。
侯爵のお母様は、より幸せだったと言えるし、ヒロインはもっと幸せになるだろうしで、時代や組織的なしがらみの中で、「世間の目」に負けないハッピーな結末を掴むお話は嬉しくなる。
紙本を第1巻のみ過去読んでいた。続きを読もうとは思っていた。一巻目は出自が明かされるターン。二巻目は隠そうとしても表れてしまう気持ちのターン。
二巻目は盛上がりにもう余り期待しないでいたら、シャーロット他がストーリー展開に貢献し、ヒロインの世界は外へ広がりを見せて、一巻目が足元の地固めとすれば、二巻目は人の噂の温床池に、図らずも足を踏み入れる。
人間関係は重層的なもの、明解ではないと見せつける、おとぎ話ではないおとぎ話。