……と思いました。作者買い。小笠原先生めちゃめちゃ好きなんですけど、これはとても残念。おそらく、最初は素直になれない俺様系ツン攻め(イェス)が素直になって受け(アクセル)とハピエンという画を思い描いて描いていたのだと思いますし、当時のBL風潮がそういうものだと察せられるコメントがあとがきにもあります。ただ、作者さんがそういう風潮に違和感を覚えてしまったのか、俺様攻めが嫌になったのか、途中で傍観者(物語の観察者)として物語を進めていく予定だった主人公(長池)を『攻めにシフトしてしまった』事(または、その逆=長池とくっつけたかったのに編集の意向でイェスとくっつけなくてはいけなくなった)の迷走が物語の破綻の原因かと思います。長池とくっつけるなら、なぜ攻め予定だった(現当て馬)イェスを主役級の扱いで出したのか、読み手を混乱させます。読者が違和感を覚えるのは、そのせいでしょう。もっと時間やページ数があれば、あるいは編集の方針が違えば、もう少し読者も納得できるものになっていたかもしれません。そういう意味で非常に残念です。
しかし、そうした事情を加味した上で、長池は大変魅力的ですが、受けのアクセルが自分の事しか考えられない(トナカイだから人間とは感性が違うのかもしれませんが)身勝手な人間性に見えて、全く魅力を感じません。私がアクセルを人間として好きになれない生理的に苦手なタイプなのもあるし、長池がアクセルに惹かれたきっかけも超自然的な作用がきっかけのように見えるしで、長池が何故アクセルを好きになったのか、アクセルが長池を好きになったのか、全然納得できない。昔から小笠原先生大好きだからどんな作品も全肯定して礼賛してきたけど、この作品は全肯定できないし、編集の無理強いにしても、この作品によって小笠原先生に苦手意識が芽生えてしまった。
なので、小笠原先生大好きな人は見ない方が良いかもしれない。スケベで綺麗な絵柄が好きな人には良いんじゃないかな(適当)。