このレビューはネタバレを含みます▼
過去に江戸は大火に何度か見舞われ、東京となってのちにも大震災や大空襲で焼け野原になっている。一国の中心地とはそういう定めを持っているものかもしれない。
この小説を初めて読んだ後は、恨みによって余りにも多くの人が命を奪われていくのに心が打ちのめされて、二度と読むまいと思ってしまった。
けれども、夢吉や冴をもう一度よく知りたいと思って、二度目は読み飛ばさないでじっくりと読んでみた。
雨柳や設楽彦四郎についても、周りの人に掛ける言葉や態度から人物像を想像しながら、他の登場人物についても同様にして読んでみた。
大火の発端となった恨みの一つは、この人と生涯を伴にすると決めた男を廃人にされた女のものであり、もう一つは、恋仲の男の周りの人々によって男との仲を裂かれた女のもの。もう、恨みは募るにつれて怨嗟に変じて行って、怨霊にさえなり果てる。
そのどちらも、雨柳によって,静められて、然るべきところへ行き着く。
そして、この小説の伏線として、折に触れて読み手に示されてきた、雨柳の過去と設楽彦四郎の仇討ちとの絡みを、最後の最後に知らされる登場人物たちと読者。
『ふたご』という真相には驚かされた。確かに『双子』は昔は忌み嫌われたので、一緒に育てられることがなかったようなので、このような事も起こりうるかもしれない。けれども、一卵性双生児であっても、育て方や食事によって,容貌がかなり違ってくると思われるし、なにより、悪事を働くものは行いを映した顔になる。
それはそうと、設楽彦四郎、速足で帰ってこないと、自分の子どもになつかれない父親になってしまうよ。いいのかい?