このレビューはネタバレを含みます▼
東洲斎写楽は、1794年(寛政6年)から1795年(寛政7年)までの間の内、わずか十か月間しか浮世絵を描いていない絵師です。
出自や経歴については詳細が解っていないので、多くの人が様々に研究しています。
中でも、阿波徳島藩主蜂須賀家お抱えの能楽者であった斎藤十郎兵衛だという説が有力なようです。
写楽については、二十人程の作家や美術家が著作を書いています。
森明日香先生のこの作品は、先生が同時代に交流があったと思われる絵師や戯作者の経歴を基に自由な発想で物語に書いたものです。
物語にお駒という女性を登場させて、写楽との間の実らぬ恋を描いています。
江戸時代にあった身分制度は誰もが越えられないものとして存在していました。
それは、武士が自分たちに都合がいいように勝手に決めた身分制度でした。
本来であればそれは可笑しいものと思わなければいけないのですが、誰もが処罰が怖くて破ることなど考えもしなかったのでしょう。
お駒が女中として働いていた耕書堂の女中頭のおみちには、病により早逝した浪人の想い人がいたそうです。
彼の世で待っていると言う言葉を胸に誰の元にも嫁がずにいると、お駒にだけ教えてくれたのでした。
そして、お駒もまた、耕書堂の蔦屋重三郎が絵師として招き入れた写楽を何時の間にか思うようになります。
写楽も同じ様に思ってくれているのがそこはかとなく感じられ幸せな日々を過ごします。
けれども、写楽の本当の身分を知っている周りの人からは止められる恋だったのです。
止められて止まるのなら、それは恋ではありません。
二人の恋は叶うことなく、僅か十か月で途切れてしまいます。
その後、お互いに会うことはなくても、終生思いは絶えずに続いていたでしょう。
お駒は、子を成すことが無かった為か、関わりがあった誰よりも長生きします。
幼い頃からも耕書堂にいた頃も年をとっても馴染みのあった鉄蔵は、大成して、葛飾北斎としてその名を轟かせます。
そして、耕書堂で共に筆を取っていたお駒のことを『写楽女』と称してくれるのです。
『写楽』のただ一人の女弟子、お駒改め『写楽女』と。