ヒロインの笑顔の、人を癒す力を、彼ショーンが第一の信者として心のなかで呟くシーンがある。読者もそう思える画力。
他人に自分の領域に踏み込ませない彼が、そこまでリジーの笑顔の力を知りながら尚その中へ、己の苦しみを解き放つことが出来ない。
彼も特に彼女には弱い自分を知られたくないわけで、ヒロインも無理にこじ開けないタイプで。
よくぞ三兄弟共すさんだ大人にならずに済んだと思う。心の傷ありつつもまっとうな道に行った。
こういう親が、自分のしでかしたことの酷さを、自分可愛さに都合よく片付けず、言い訳もせず受け止め、キッチリ自覚して晩年を過ごしていたことがすごいとは思う。ヒロインが財産目当てという誤解云々がいかにもHQ、そして、ヒロインの慈愛に満ちたリアクションも、HQらしい。
許すことは大切だけど、思いやりを失わないヒロインが凄すぎて、きれいな心を見させてもらった感じで一杯。
彼の不信感にかなり傷つけられても、短かかったけれど楽しい日々の方が忘れられないなんて、偉い。
こういうシチュエーションで、ヒロインのピュアに他人を思いやる心を、藤田先生の絵には信じこませる力があるのが、ハーレクインの名手の一人というポジションを不動にしているのだろう。
独特の静かでじんわりとした暖かみが、読者の心も救ってくれるようだ。
ありとあらゆる意味で「夜明け」を待ちわびていたのだなと感じる。
また、リジーの母親は、所謂生活破綻者のようにめちゃくちゃであっても、死んで欲しいとまで人に思わせるほどにひどい訳ではない。親が変人とかは、居てもせいぜい、せいぜい「嫌だ」程度で、死まで望むのはよくよくのこと。どれ程言語を絶する有り様だったかを物語は描写。しかもほんのひとこま、少年たちにはきっと永遠にも感じられたであろう長さがあったことは、ストーリーで深く実感できるようになっている。
耐えられる子どもが果たしているのだろうかという状況を、耐えて耐え抜いて大人になったかつての子どもたち。
この事を知ると知らないとでは、確かに、彼らに対する考え方は違ってくる。
ただ、基金の名前として、恰も善人のように父親が人の記憶に残り、一方、三兄弟に財産が行かなかったのは、読後感として落ち着かない。リジーにはかつての姿を予想だにさせないほど、彼は人間的だったが。反面教師の負の記憶遺産としてなのか?辛いことだろう。