「メッセージ」「貴婦人」は正体のよく解らない人物が意味深な役割。理解者であり崇拝者であり、立会人のようでもあり予言者のようでもあり。明確にしなかったところが制作の意図か、打ち切りか。読み手は余計「メッセージ性」を読み取ろうとしてしまう。答えの欲しい読み手には。説明介助役なのか進行役なのか、それとも言霊的に縛り付けたかったのか。
「オイディプス」「スフィンクス」はその名の通りギリシャ神話を題材に、というかそのもの、といったような作品だが、例の男も登場はしている。登場は、と書くのは、それ以上もないからだ。ギリシャ神話のはずだけど、こうだったんだ?という印象も。オイディプスと来てすぐに連想するのは、特殊で業の深い関係を言い表す人と人との配置図を説明するような表面的なもの。その奥のドラマを私は読んだことがなかった。先生の語りは、台詞よりもナレーション要素強いところに、誰か語り部の口から語られていくようで、それでそれで?、と先をうかがうように読み進めた。
「花嫁」はその正体不明の立会人は歴史の説明役に終始、子ども、血、統治者、彼女の進む道の背後を思いめぐらせると、結婚の持つ意味は人によってかくも大きくもなるものだとは、感じさせられた。
ここで前後半、本書は趣を変える。
「海の青」「水玉」「シャンプー」は一人の少女漫画の主人公らしい主人公の、恋する気持ちとその成り行き。特別ユニークな筋運びで進むわけではない。けれど、相手の考えが分からずに、主人公の女の子が一人、あれこれ想いを巡らす状況と気恥ずかしいエピソードが痛痒い。たとえられたおとぎ話が、私の苦手なヒロインの話だったが、此はオッケー。「百合もバラも」「海と真珠」は、「海の青」から続く作品で、二人の間が、主人公が遠巻きに見つめてた距離感が変化したところ。ここも、萩尾望都先生っぽさを探すことはすまい。二人の物語の前半が、タイトルも青く清潔なイメージで並べてられていたところから、一挙に嫉妬めいたステージへ。
「夜の河を渡る」は、作者がキャラに投影されたかのよう、迷いの中にご一緒出来た。
最後の「しまうまの」Q&A、は、先生のユーモアを見た感じで、ホッとしたような、此処まで読んで拍子抜けしたかのような。
敬意から5星献上するが、あれこれ詰め合わせされてる粒々を吟味し始めると、ものすごい幅。
いっそ短編集という副題が要ったのではないか?