勝手に疑っていればいい。息子であるだけで親の遺産を当然に相続できるのだとしたら、親の結婚によりその連れ子である娘が、なさぬ仲であっても相続を父となった人から受けられるのとは、全く立場は同じ。いずれも当人たちは「親」から受け取ったという事実だけ。彼にヒロインを蔑む理由なんて、実は無いし、その権利も無い。
ヒロインは自分の感情に正直だった。彼は素直になっていなかった。
夫婦が愛し合っていようがいまいが、届を出して誓約すれば結婚は成立する。
それは、彼もヒロインとの結婚で同様に経てみたことだ。
資産家が、自分達の財産を守ったり、他人が財産目当てであることへの不信感を募らせる話は定番だが、おのれ自身の活動による資産形成で無い限り、他人を疎ましく思い蔑むのは間接的にはそれも立派な財産目当ての行動。
後妻とは、かくも動機を疑われるものなのかと、読んでいて、人の不信感の根強さというものに背筋が寒くなった。お話だけれど、まんざらリアリティが無いとも言い切れないほど、義理の孫も近寄せなかった彼のヒロイン母子不信の徹底ぶり。6年も疑惑を残したまま対立を続けていたのは、凝り固まりすぎていて、何の証拠もないだけに、ただ、すごいなと思う。
「おばあちゃま」という存在をホリーに味合わせてやれなかったのは、彼の独り善がりだから、自分の思い込みで娘まで不用意に不幸を拡げた事実の損失分は大きい。罪の深いことをしてしまっている。
彼の信じる信じないを決定付けた、社員の突然の出来事からの、彼の、ヒロインとヒロイン母への猜疑心氷解の自覚シーン、もう少しドラマチックであったら、と思った。強制結婚期間終了後の財産放棄は、ヒロインのプライドのためには理解できなくもないが、ただ無実を証明するためだけに自分の長年の希望も捨てることに、お話の世界とはいえ、突っ張りすぎてる印象だった。
弁護士先生のところでの勘違いも、二人の間の取り違えが今さらそんなところで発生?との印象。
以上はストーリー上の引っ掛かりだが、絵のほうはやはり、藍先生の黒の使い方が効いていると思った。ヒロインは少女のような面差しと、大人の女性らしさをたたえる体つきと、共存的に表現されており、魅力がある。