このレビューはネタバレを含みます▼
一条ゆかり先生といえば、ドロドロとした女の情感を大好物とする少女漫画界の大御所。この「砂の城」はドラマ化もされた80年代恋愛漫画における金字塔的名作です。「悲劇のヒロイン」という言葉は、この主人公ナタリーの為にある言葉かといわんばかりの悲劇っぷり。孤児や格差社会、駆け落ちに心中、記憶喪失をふんだんに織り交ぜながら、不幸続きで怒涛の展開が大波になって読者を呑み込んでいきます。
当時、一条先生は自立した活発な女性が好きで、敢えて本作では対照的な主人公を描くのに挑戦したそう。あまりの悲惨さに初見では可哀想だとナタリーに同情したけれど、読み進めていくほど、作中でエレーヌが明言したように「身を焼き尽くすほど愛する相手を見つけられた貴女は一番幸福な女なのかもしれない」と思い始めました。たびたび周囲や過去に囚われすぎて自分の幸せを優先できない姿も最初は理解できず、どうしてと苛立ちさえ募りましたが、『王子様とお姫様を含めて皆が幸せになる物語』を誰よりも尊く想い、それを絵本にして名誉実力ともに世界的に評価された人だからこそだったのかなぁと。おとぎ話の中に身を置き、現実世界の理不尽を恐れ、自分の砂の城が崩れるのではないか...と終始、情緒不安定なナタリー。でも本当は、城が崩れて流されても、また一から作る強さが人間にはあるのだと言いたいですよね。実際、どんな悲劇の波が幾度と襲いかかろうと、全てを流されてしまうわけでなく、彼女の側にはいつも絶えず大切な友人達やフランシスがいましたよね。それは、時に絵本として読者に寄り添い、時に恋人としてフランシスの白昼夢に現れたナタリー自身も同じです。たとえ、命を波にさらわれてしまった後でさえも、エディットのように新たな時代を生きる人達の中にだって、ナタリーは生きています。そうして誰かの「砂の城」があった場所に今度は次世代の子ども達が新たな「砂の城」を作っていく...。人の命、そして、人生とはこういうものだと改めて気づかされる、素晴らしい作品であることに間違いないでしょう。