500年の営み
」のレビュー

500年の営み

山中ヒコ

アンドロイドものの名作‼️(長文です)

ネタバレ
2021年9月23日
このレビューはネタバレを含みます▼ 突然だが昔からアンドロイドをテーマにした作品が自分の琴線に触れてしまう。古くはスティーブン.スピルバーグのA.I.最近ではカズオ・イシグロのクララとお日さま。繰り返し描かれるのは、人間という創造主により、一定の目的の為や代替品として製造され、アンドロイドは高度な知能と感情を持っているのに、無垢に、献身的に役割を果たすと人間に捨てられ、それから長い時を最初に与えられた役割を使命と捉え努力しても見放される姿。人間の身勝手さを逆説的に訴え、どちらが人間的か考えさせられる。そういった作品が繰り返し創作されるのも、国境を越えて訴えかけるテーマがあるからだろう。だが、鉄腕アトムを生んだ日本で愛を語るBL作品にはそういった定番の展開を覆す作品が数多くあり、アンドロイドもの好きとしては胸が救われる思いになる。この「500年の営み」も、そういった定番を覆したことにより、人間が抱く愛情の素晴らしさを描いていると思う。主人公寅(寅雄)は、恋人の太田光を不慮の事故で失い、自/殺を試みる。250年後に息を吹き返したときに、待っていたのがヒカルB。恋人に似せた代替品のアンドロイドとして寅の身の回りの世話をする。性能としては、不器用で素朴。不出来なアンドロイドは妙に人間的で愛嬌がある。でも太田光の代替品としてみるとやはり違い、寅はヒカルBに偽物と告げるが、その時には既に太田光の代替品としてヒカルBを見なくなりつつあったのだろう。ベッドも共にするようになったある朝、高性能のヒカルAが来てヒカルBは姿を消す。そこで、恋人の代替品としてでなく、ヒカルBを愛していることに気付いた寅が、ヒカルBを探し出して、ヒカルBの為に涙を流したとき、ヒカルBは代替品としてではなく、自分自身へ愛情が向けられていることを知り、プログラムされたのではない寅への特別な感情を知り寅を抱きしめる...。本当になんて美しいのだろうか。アンドロイドの純粋さに人間が応える姿に、人間の愛情の純粋さが表れて。その後、アンドロイドと人間の寿命の違いも、医学の進歩で人間がアンドロイドに近付き、ハッピーエンドを迎えたことを示唆する終盤の描写。どの場面も、人間とアンドロイドの純粋さが、人間も素晴らしいことを描いていて胸を打つ。何回読んでも、筋が分かっていても、このアンドロイドものの定番を覆した作品は、涙腺のツボを刺激し涙が溢れる。未見の方、おススメです。
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