ウツボラ
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ウツボラ

中村明日美子

創作する者の業に作者を重ねて読んで

ネタバレ
2022年12月29日
このレビューはネタバレを含みます▼ 漫画家が創作する者を描くとき、そこには、その漫画家の創作者としての想いが溢れ出るように思う。小説家溝呂木と、顔のない遺体とその双子の妹を名乗る三木桜の関係と「ウツボラ」という藤乃朱(あき)名義で新人賞作品として応募した作品がもたらす、溝呂木が発表した同名の小説の盗作疑惑を巡るミステリーとを並行して描いた本作は、中村先生の緻密な構成…複数の話者による考察や台詞により、読者は困惑させられるが、丹念に読むと真実がようやく分かるという…と、滑らかな筆致で丹念に描かれる絵に魅せられる作品であると共に、通底している創作者にとっての才能と、読者の期待や欲求が時には創作者を追い詰めるという緊張感が、読み手の神経を尖らせる実に読み応えのある作品だ。
既に沢山の考察がされている作品であり、調べようと思えば、数々の意見に接することができる。自分が最も印象的に感じたことは、創作に真摯に自分の中の一番繊細な部分をさらけ出している作家ほど、それが受け入れられなかったり、全てを削り出してしまい、もう表現したいものがなくなることは、もはや生きていないのと同じだ、と作家達は理解していること。なのに、読者の期待が時に作家を追い詰め、禁じ手まで使った挙げ句、作家自身を追い詰めてしまう姿に創作の困難さを感じた。溝呂木は朱が捧げた生命に書く意欲を取り戻すと共に、書き上げた後、姿まで若々しくなり、更に幼少期の事故か心因性で性的不能だったのに、子をもうけるまでに活力を取り戻す。作家としての意欲と生命力が繋がっていることを象徴するシーンが、何とも印象的だった。そして、溝呂木は自分の生命と引き換えにウツボラを書き上げた後、死を選ぶ。その前に、姪のコヨミと交わす、本当に大切なものは作品ではなくコヨミだったんだという言葉が、逆説的に創作する者の業を物語っている。人間として生きることを優先していれば、作家としては死んだも同然でも生命を絶つことはなかっただろうが、溝呂木の表情からは、言葉とは裏腹に作家としての生命を燃やし尽くせたことに対する満足感が伺えるのだ。中村先生は、この作品完成前に休筆宣言をした時期があり、どうしても溝呂木に中村先生を重ねて見てしまう。そのような創作に対する姿勢や作品へのこだわりが、数々の素晴らしい作品を生み出しているのかと思うと、こうべが自然と垂れる。3月にBSでドラマ化決定おめでとうございます。
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