キレる私をやめたい ~夫をグーで殴る妻をやめるまで~
田房永子
このレビューはネタバレを含みます▼
私も作者と同じ女性ですが、
作者のようにキレると大きな音を出したり極端な思考で話し合いが難しい母や同僚と関わる事が多かったので
改めて考え事をするきっかけになりました。
「自分(夫)と妻(作者)ではキレイの基準が違うように思う」
「だから妻が主張する部屋をキレイにしてるは同意できない」
と、なぜ同意できないかを夫が言語化しているのに
「この人は悪い部分しか見ない」と受け止める妻。
夫の回答は良い悪いの話ではない。
価値観が違う事をまず受け止めてお互いどれくらい歩み寄りが出来るかの話をするチャンスだったのに。
夫は「悪い事ばかり見る」と言われ、それを認めて謝っているが
「ネガティブに受け止めてしまう性質だからわかってよ」と過去に言われた事を思い出した上で
「妻から見ると悪い事ばかり指摘している状態(に感じるんだな)」
…となってしまう事に配慮しきれずゴメンと謝っているように読み取れた。
一方的に夫だけが妻に歩み寄っているから成り立つ話し合いで、自分の価値観に優位な状況だから納得できている事を歩み寄りと思っているのでは?
知識を得たが別方向に認知が歪んだ状況に見えて、個人的にヒヤッとしたラストだった。
「私は自分なりに頑張っている」
「その頑張りを認めてほしい」それが絶対的価値観。
だから認めてくれない=自分の否定、と受け取って「悪い事しか見ない」という考えになるのかなと。
悪いなんて夫は言っていない。
夫が自分の発言をどう受け止めてどういう意図でそう返したのかを理解しようとせず、自分の物差しで「否定された」と決めつける。
根本はただ一途に
「自分を認めてほしい」
「ありのままを許容してほしい」
「自分に合わせてほしい」。
相手の価値観はおかまいなしに我こそが正義。
0か100か、悪か正義か、極端で感情的。
相手を否定しているのは自分の方なのにね。
感情的になりやすい女性は「理解」と「許容」を混同している事が多いと思う。
100%同じ価値観の人間はいないし、正義も視点が違えば悪になる。お互いの理解は必要だけど全てを許容する必要はない。
なまじ同じ言語を使うからこそ、喋るだけで理解できると思いがち。
相手の言葉の真意・価値観を理解しようとしなければ、例えお互い同じ「思いやり」という言葉を発していても意味がない。
話はそれからじゃないだろうか。
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