このレビューはネタバレを含みます▼
ヒコ先生の作品が好きなんです。でも、どの作品を読んでも涙腺のツボを突かれて、暫く日常生活に戻れなくなってしまうので、気軽に読み返せません。
この作品も、あまりにも健気な雲雀に泣きに泣いてしまい、レビューに書くには感想がまとまらないまま頁を閉じたのです。偶然、史実に忠実に描いた歴史小説、歴史上の日本を舞台に架空の人物を登場させ、実は現代に通じるテーマを描いたのが時代小説だという解説を聞いて、想起されたのが本作。現代に通じるテーマを描いてあるのかも…と思いながら再読したらまた違った視点で読むことができました。
本作の浪人、朽木と、最新作二人のイキガミの柴田。2人の共通点は、自分の存在ゆえに愛する人が死ぬという、晴れることのない後悔の海の中をさまよっている点にあるのだろう。
そのような深い後悔の念を朽木が背負わなければならない事情など、現代社会ならない。が、身分制のあった江戸時代において、その格差を乗り越える度量があったからこそ生んだ妬みやひずみ。この本人にはどうしようもない状況が、平和な日常を送っている自分にとっては非日常であり、そのような非常な世界で、自分が共感できる善き人が、悲痛な目に遭いながら救われ、生き直す過程に心が揺さぶられるのだな…改めてヒコ作品が何故ここまで自分の胸を打つのか気付かされました。きっと、その感覚は、SF作品でも共通するのだろうな、とも。
そんな朽木が、生きようと思える絆を結ぶのが、この世に頼る者がいなくなってしまった長屋の幼な子、雲雀。雲雀は、現代社会でいえばネグレクトを受けていた子。それでもなお、親を慕い、悪いことを含めて自分のせいと思ってしまう子ども共通の健気さに号泣。その2人が、お互いを支えに、再生する姿は、新しい家族像を見ているような感覚になる。長屋の住人の温かさも、人は人との繋がりの中で生きる実感を得ることを思い出させる。
細目兄弟の哀しい話や、サイコパス系登場人物の存在も、現代にも通じる内容だと思いながら読むと、また味わい深い。
あー、やっぱり日常生活に戻れない。でも、まだ映画を観たようなこの余韻に浸っていたい。