恋を綴るひと
」のレビュー

恋を綴るひと

杉原理生/葛西リカコ

心の中で溢れるたった二文字の言葉

ネタバレ
2025年1月7日
このレビューはネタバレを含みます▼ 五十年近く前までは、男女共に結婚して子孫を残すことは義務であると言われていました。周囲の殆どの人が、身近な人や仲人によって次々と従っていた時代でした。
そういった意味では、此の小説の和久井柊一の父母や祖父母も意に染まぬ結婚をしたのかもしれません。かと言って、それを理由に子どもと関わらなかったことは許されるものではないでしょう。和久井柊一は、誰にも甘えることも心の内を曝け出すこともなく思春期を迎えようとしていました。そして、唯一自分と関わってくれた叔父を慕うのですが、未成年者を相手にした叔父は拒絶するしかなかったのは尤もなことでした。
けれども、未だ若かった叔父を不慮の事故で失った和久井柊一の心には底知れぬ悲しみと絶望が襲ったことでしょう。
しかし、大学で蓮見徹(てつ)と出会い、彼から細々と食事の世話をされることで、幼い頃から澱のように心に積もった報われなかった哀しい想いがゆっくりと癒されていくのを感じるのです。誰にも甘えることができなかった辛く淋しい気持ちが温かく柔らかく解けて往くのを感じて幸せだったのでしょう。和久井柊一にとって、蓮見徹は母でもあり、友でもあるとても大事な存在になりました。
和久井柊一は、人の心の機微には敏いのに、自分の心については全くと言っていい程に掘り下げてみようとしません。期待して後で落胆するのを恐れているのでしょう。それは、幼い頃からの習性だと考えられます。
誰が見ても、和久井柊一から蓮見徹への恋心は感じ取れるのに、本人だけが頑なに否定しています。人知れず彼は其の思いを言葉に綴ります。
そうして、膨大な量の恋文が果てしなく綴られていたのでした。
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