このレビューはネタバレを含みます▼
もう何年も読み返している。その度に何度も何度も、衝撃を受ける。藤本タツキが「天才」と呼ばれる全てがこの作品には詰まっている。
「天才」とは何か。藤本タツキが何故凡百の漫画家と圧倒的に違うのか。
影響力を持った作家やアーティストは、社会を風刺し、受け手に正しい倫理観を与える義務があると私は考える。日本では少数だが、海外では当たり前の考え方だ。
それを藤本タツキは人気作家になったことで実行した。
これは、その権力に胡座をかく表面だけの作家がのさばる日本では稀になってしまった。藤本タツキは、背負ったものを正しく吐き出すというごく当たり前のことをやったにすぎない。しかしその事実は、ひょっとしたら作品よりも尊いことなのかもしれない。
「ルックバック」という作品は傑作たる所以が至る所に散りばめられている。
藤野と京本の2人は、ともすれば共依存になる可能性があった。しかし藤野に憧れていた筈の京本からそれを突き放す。それは自立であり、引きこもりだった京本の大きな一歩である。勿論藤野は最初は嫌悪し、皮肉を口走るが、藤野は藤野で1人で進むことを決意する。もうこの場面だけで「ルックバック」は傑作の部類に入る。
しかし、藤本タツキの凄まじさはそれに留まらない。
実際に起きた京都アニメーションの悲惨な事件。そこに憤る気持ちややるせなさを感じるのは、同じ作家として、クリエイターとして、当然のことだろう。藤本タツキは、目を背けることなく描いた。描き切った。
正に上記した「社会的役割」を正しく実行したのである。
これに痺れる以外の感想があるだろうか。
物語はパラレルに分岐すると思わせて、終ぞ最後まで京本が生きては戻ってはこない。当たり前だ。死んだ人間が蘇ることなどあり得ないのだから。
しかしこの読後の、やるせなさと切なさとエモーショナル感はなんだ?
冒頭から終わりまで、考え抜かれたカメラアングル、言葉のチョイス、散りばめられた伏線の素晴らしさ。
改めて言おう。この作品はひとりの作家の魂の一作だ。
誰がこれを描けるだろう。頭の中で完成させても、誰が作品として残せるだろう。
この「ルックバック」に出会えたことは、私やあなたの財産だ。
一生胸に仕舞い、大切に、何度もここに帰ってこよう。