ジャックは大切な「家族」を手放すことは考えられなかったから、それはそれは慎重に計画を立てて実行に移した。彼が時間と体を使って動くことになる前は、姉の遺児は半ば観念的に家族として存在しているだけだった。養育者の選考、下準備、、、。
このストーリーは、ジャックサイドで形成されているため下手にメロドラマしてないところが大成功していると思うし、ジャックが実は熱い男でもあったことを、相手役の女性の秘めた情熱を説明することで同時に間接描写して、人物造形が感情表現にも抑制的で観察的で、本当に技術的に高度にストーリーテリングが練られていると思える。
そして、台詞やモノローグのテンポも物語進行との連携が良く、ジャックや登場人物のキャラをよく表し、無駄にイケてる弁護士のお友だちまでもがかなり重要な方向付け。
骨格にあるものがまさしくHQそのものなのに、底にそっと置かれているご都合主義が一切いやらしく感じられない説得力。実は、という筋立てはそのストーリーでどう見せるのか、作家性が問われるところだが、お見事。ドラマで見せているのは原作の力なのか、それとも汐宮先生の綺麗な筆捌きと切り取られた断面断面の見せ方、コマ取りの巧みさなのか。いや、原作とコミカライズ者との組合せの上手く行った、総合力の結果なのか。
彼女が涙する象徴的なシーンで、彼女はもしかして?と、読者的には確信がまだ足りないながら、そこで、ある可能性を匂わされる。疑問符を持たされたまま私の高揚感はクライマックスまで持続。もたつかずにひとつふたつと、次なる展開の扉が開かれラストに向かう。彼女の涙の奥にある真実が後半の主軸になる。
終始物語の中に居ながら、ミセス・ロックのリアル登場時は、居合わせたことの鍵パーソン的見せ方が少々物足りなかった。
70頁目の「今日ナニーに決まった女性に頼もうと思っていた。」のところは、時制が不明瞭な気がした。今日、とは?それは試用期間から本採用のことなのか、話を持ちかける日のことなのか。
でもそれは、本当にちっぽけなこと。
巧みに語られた幸せ物語は、巧みなコミカライズで実に堪能できる一冊となって出来ていた。
五歳の女の子が最も不憫な境遇であるはずが、彼女の嬉しさの詰まった最後の台詞に、間違いなくこれで幸福な家庭の一員としての確かさが出ていて、いい話を読み終わった満足度で目頭が熱くなった。