テキサス、テキサスの男、というと、米国人にはある共通するイメージが思い浮かぶという話を読んだことがある。
この話には、テキサスルールなるものは出て来るが、また、テキサスの女の説明らしきものはあるが、テキサス男たる彼のキャラは、ある典型として描かれているという訳でもない。
健気というか、痛痛しい位に、ヒロインは頑張って生きてきた。親がとてもひどいのに、ヒロイン視点では一言も悪い親ということにならずに、客観的に眺められる外野の人間が親失格を嘆く。子は親をかばってしまう心を持つという悲しい構図、読んでるこっちが泣きそうだ。
彼が手を差しのべる。
胸を貸す。
大叔母さんも世話になったラングリー家に、今度はヒロインが。ライリー家の伝統?
彼はヒロインに女性として関心を持ったればこそ、境遇にも真剣に寄り添えるのも確かなのだが、厚かましさのまるで無いところが、清々しくて雄々しくて、彼の騎士道精神点灯。独りで頑張ろうとするヒロインは野に咲く一本の弱い花、少女の面影残す、華奢な細い腰も彼には女性を意識させられる要素であり、また却って、“守ってやらねば精神”を確信させる「か弱さ」に繋がる。ヒロインが拒むほどに彼はその気持ちを煽られていくのが、彼の善人ぶりを映していて、人柄good。
ヒロインが彼に異性としての好意をまだ真っ直ぐ示してもいないうちからの彼の行為は、セクハラ認定モノであるが、ヒロインの隠れた感情ありきでこの話は、募る彼の恋情の具体化描写で許容される。
ヒロインほどの人生と比べるのは申し訳ないが、自分の長女気質を振返ってしまった。いいですいいです、自分でやりますから、という、人の親切心に対して頑なになりやすいところ。可愛げ無い自分をいつも悔やんでいた。そんな自分を、この物語が、幸せになるヒロインを通じて救済してくれた。
HQ男性は、そんな突っ張ってきた女の子にもその洞察力で限りなく懐が深い。人を頼る術を知らない甘え下手な女の子を包み込んで、拒まれても暖かい手を惜し気もなく差し出す。泣かれて胸を気前よく貸す。気安く弱みをさらけ出せない事情への冷静な理解力。振り払われた手を変なプライドで意趣返しなんてしない。
インパクトは今いちなラブだったが、このような懐の大きさ、これぞテキサス男というものだろう。
影の主人公はミス・マニーだ。
好青年な絵が幾つかあったがサラリとし過ぎか。