原作を読まないで私が想像で言うことは、筋違いの見立てに基づく恐れがあるが、私にはこのストーリー、ありがちのなんちゃってシーク物より、対立と調和のテーマが深く話術に組み込まれているような所に、原作者の洞察力と考察力の高さを感じた。
第四夫人迄許される文化圏ではあるが、彼ザフィルの母と元国王とは「国王のミス」とされ、彼は孤児扱いであったと。「第二位」継承者がそうなりかけるというのが奇異。愛の不在を疑うプロセスの果てに愛の肯定はなされるのだから、なぜ同時現職の国王が守る術無しなのか?。内政立て直しや国家統一を含む国の全てに身を捧げるつもりの彼の、ヒロインへの愛回帰迄が描かれるが、関係悪化していた部族長との改善への彼女の貢献はご都合色強い。連なる議会の態度軟化も瓦解の如く。
兎に角二人の愛は有った。彼が斥けているとき、ヒロインには見えなくなり、また和睦の材料とされたとき、彼は否定的だったが、幸福な光景を写し出した記録が反証となった。
彼の出自にまつわる過去からの解放は、説明足りた気はしなかった。
ただ、医師ファラやお産を助けた女性など、味方の「駒」を結果的に活かすヒロインの環境は追い風をもたらすし、継承権有るザフィルを、政敵避けの為にアメリカの空気に当たらせた政府筋の作戦が、母国に新しい風を吹き込んで行くところを描く。
米国の正義感は少し鼻につく。
国王たる者、なまじの覚悟などでは務まらない。難局を冷徹な判断で膿を出さねばならないときもある。しかし、その一環として、過去の女として、葬り去られるがごとき扱いに終わりそうだったヒロインは、突然の別れに納得行かないと自ら彼の真意を質す。これが結果的に正解だった、となる。
頬平手打ち、お話の中の感情表現だけだと思っていたら、この一方的別離の怒り表現に使われるに留まらず、不敬罪的なきっかけ作りとして利用されて、更に芝居じみてた。尤も、それが奏功して再度濃い接触に入り込む訳だから、物語の重要な滑り出し、必要なハードコンタクトか。ヒロインはあらゆる事をこじ開けていく。
評議会、部族の確執取り払われてからおとなしく、枝葉末節につき絵では見られない。
二人の献身や貢献の成果だが。
米国滞在中同行してた側近もポイント高い働きをしたのに途中退場して消息不明なのも心残り。
相変わらず渡辺先生の絵にとても惹き付けられた。