HQらしい話。
名家は好きなひとと結婚できないことがある。
そういう世界だから。
よく住む世界が違う、というが、まさしくこれ。
HQはそんなのばかりだから、つい普通の恋愛結婚をその延長に考えてしまうが、古今東西悲恋の存在は好きな者同士が結ばれることの難しさを表している。ただ、男性が意思を貫くことで道は開かれることがあるものだから、シンデレラストーリーとして、もてはやす。
このストーリー、彼自身が自らを取り巻く現実的な周囲の期待に応えて、敷かれたレールに帰っていった。当然ヒロインの愁嘆場となるも、貴族ほどではないにせよ、彼女は、その結婚話と来ればマスコミに採り上げられるような、ニュースバリューのある格好のポジションに居た。
彼の方は軽い気持ち。年貢の納め時までの自由だと思って遊ぶ人間が居るわけで、彼自身そんな感じでいた。
ヒロインはもしかしたら、もしかしたら、と、彼の決意を期待した。
気のあるそぶり(?)は、自分に魅力があるということに自信のある人間には束の間を遊ぶツールのひとつ。
結婚を口にして去られる、欲を表わしてしまい去られる、などはHQのヒロインになれなかった女達の定番。
モテる男性が登場するのがロマンスでは重要だから、影で相当数の女達が泣いたわけだ。そこを、男性を悪者にして形ではメインの座に就かせたくない故に、今までの女達はみんな金目当てだった、と無難に決めつけ悪者設定するのが気楽な対処法。この作りが圧倒的に多い。
しっとりと絵が美しく、藤田先生は二人の関係の描写から、ただれた不潔感を一切出さない。
ただ、彼チェーザレと結婚相手ヴィト、似すぎ。
貴族制度が過去のものになった現代日本に生まれ育った私にしてみれば、伯爵がどうした、世襲ナンセンス、伯爵夫人なんてどうでもいいよ、ではあるのだが。
欧米の階級社会なりの変形シンデレラストーリーを読むと、いろいろ大勢巻き込んだとしても、たとえ傷つくひとを生む可能性があっても、やはり好きなひとと結婚するのが、一番のロマンスだと思えてくる。
68頁から70頁が特に良かった。我を忘れてカーラのところに足が向いてしまったシーンが。