この時期(1940年代、特に最期の年)のその地域のことは従来より関心が特に強くて、世界史で学ぶただの第二次大戦後の一部の事として断片的にしかまだ判っていなかったから、その漫画があるとシーモア(島)で知ったとき、巡り会ったとの気持ちで胸が高まった。よくぞ描いてくれました、という気持ち。読んで今心がそこへ飛んでいって熱い。溜息も。喪失感も。
ただ、読み手を引き寄せるためなのか、少しテイストを付けたことは、私には複雑な想いも。地図と歴史から想いを馳せてた私の気持ちにとってみれば微かに異色。
もちろん、その工夫が有ったからこそ別の意味で未開拓な層を呼び込み、新しい関心を拡げた効果もきっとある。
しかし私は価格の関係で読めたのが今日になってしまった(2巻構成のため足かけ1年以上かかった)。ポイントが潤って還元もアテに出来たから。
読み終えて、「生きとし生けるもの全てが幸せでありますように」がこれ程響いてくるものはないなと、改めて思う。宗教観は世界で多様だけれど、他人が力でどうにかしようという考え方は相容れない。自ら信じるかどうかの気持ち。
そしてそういう時代だったのだからと、その起きたことが許されることはない。野心が蹂躙する様は心痛む。これは道徳心にも関わる。こうした史実を見つめなければ多分現代の世界情勢に活かされない。
そんな世の趨勢とは別に、彼等の日々の描写、言葉や習慣、食物や勤行など、読んでいて今まで遠かったものごとが、視覚化されたことでとても分かり易く感じられた。助け合い、煩悩を戒めて自然と生きる姿は、人間として清潔感もあった。子どもならではの、お菓子などを楽しみにしたり親のことを考える姿も、見ていて和むし、血が通ったストーリーだった。
緻密な装飾の入った絵など幾つも描かれていて、それらには大変圧倒される。