う~~ん熊本地震はけっこう揺れて怖かった覚えはあるんですが。
私は大震災にはいまのところ遭遇していません。現20歳。
能登の地震もすっごく痛ましいニュースをたくさん見たけれど、九州住みなのもあり知人はだれも死ななくて。
色んな戦争の祈念日や震災の日に黙祷するだけです。でも誰のことも思い浮かばない。けど目を閉じるのはしてました。
この前それって意味あるのかな?って思いました。口にだせばだれかを傷つけて聞いた人によっては叱られるであろう問いを自分の中だけで咀嚼しました。
誰かを具体的に思い浮かべなくても目を閉じる意味はあると思いました。その時間さえ持たなくなったら、そんなことがあった事実すら自分の中ではなかったことのようになるからです。知ることができなくても知ろうとするのが大事なのと一緒かなって。
南海トラフは絶対にくると小学生の時からいっています。ずっと言っていると危機感が薄れるけど来るんだと思います。
そうして失ってはじめて色んなことに気づくんだと思います。それを繰り返すんだろうな。
近くにいた人を失うことはとても大きなことだけどきっと特別じゃないんだろうなと思います。仕事や学校、色んな人間関係の軋轢にごちゃまぜになっているうちにそういうことも見えなくなってくるんだろうな、そうして急に瓦解するときがくる。
世の中にある体験は数多あるように見えて実はそうでもないのかな、愛と欠陥の体験というか。すべてはそこに集結するのかも。
自分の大切にしたいものを大切にするために必要なぐらいの弱さと強さをもっていきてけばいいんじゃないかなと思う次第です。
レビュー書くことないならそれぞれの地震体験書いたりするのもありかもですな。