このレビューはネタバレを含みます▼
この、『赤い鳥』に掲載されたバージョン……現在広く知られ、教科書にも掲載されているこのバージョン以外に、著者自身の「オリジナル版」がある、と知って、読み比べてみました。
「オリジナル版」を良しとする意見、および、赤い鳥掲載版には齟齬が見られるという意見、いずれにも私には同調できるものはありませんでした。
ただ、この『ごん狐』と『手袋を買いに』が同著者であると子供時代にわからなかった、その理由はわかった気がします。
「オリジナル版」の『ごんぎつね』は、『手袋を買いに』と同じ作者だな、と感じられる雰囲気で、赤い鳥版は他者による大きな手入れによって「南吉らしさ」が減少しているのだと納得しました。
根本的に、自分はひねくれ者なので、『ごんぎつね』という作品は好きではありません。
悪さをする狐が、自分の都合の良い「善行」をして、最終的には兵十に罪悪感を植え付けていくという、自己中心性の強さが気に入らないんですよね。狐なりにがんばったのはわかる、けどそれを良しとするかどうかは別の問題。
このお話の構図は、「いじめっ子がいじめた相手に謝罪をしに行く」のと同一性がある。ごんがしていた悪さを「いたずら」として軽くしか表現されていないあたりにもその感じがある……菜種がらに火を付けるのって、けっこうヤバい犯罪なのでは?と思うんですがどうなんでしょう。
で、いじめっ子がいじめた相手に謝罪をする、というのは、いじめっ子にとっては救いになるけれど、いじめられた方には決して救いになるとは限らない……そんな思想持ちの自分にとって、この物語は「良い話」にはなり得なかった。
「オリジナル版」の大きな違いとして、ラストにごんの心情が入っている、というのがあります。
それを含め、「オリジナル版」は「更生した不良の自己陶酔感」が強い。ある意味「わかりやすく良い話風」になり、現在でも作劇においてよくあるパターンではあります。しかし、それを良しとしないタイプの自分には、手入れをしたであろう鈴木三重吉に対して勝手に親近感を抱いてしまいます。特に、栗を置いていくのは神様の仕業と思われたことに対するごんの思考が重めのストーカー気質って感じで、ここに手入れをするのもわかるわぁ。
「オリジナル版」は、立命館大学、ごんぎつね、と検索すると出てきます。ご興味ある方はどうぞ。