穢れのない人【コミックス版】
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穢れのない人【コミックス版】

虫飼夏子

後日譚の最後の言葉の意味を考える

ネタバレ
2026年2月26日
このレビューはネタバレを含みます▼ なんであの言葉で終わるのかを考えてみました。言葉にするのは野暮ですが。

復活のモチーフである"朝日"が最初に象徴的に描かれるのは、上巻で秋鷹が全てを赦そうと決意したときです。
それまで神父として神の教えを説き、「なぜ自分がこんな目に」と地獄を味わって、最後は自分に罪をなすりつけた相手を心身ともに信じて裏切られる。赦せる可能性が1%もない状況で、朝日を眺め、ここまでの状況で相手を赦すことが神から授けられた自分の使命なのだと思う。本当の隣人愛を実践するために、この状況があるのだと木場を救うために赦す。赦された木場は、心をひらいていって、最後には動機となった幼少期に父から受けた被害と犯行の経緯を告白する。「じゃあなんで恭介は神父になったんだ」「頭ではわかってる罪を償わなきゃって」。自分が受けた傷が相手を傷つけていい理由ではないと時間が経って理解したから。そして秋鷹が捕まったことで罪を償う機会もなくなった。そして、罪を被った秋鷹だけが木場を赦せる。
「秋鷹さんって本当に今まで神様のことしか考えてこなかったんだね」に続く、「僕はあなたにずっとそうだよ」、の"そう”は神を信じること。過去回想で罪を告白した瞬間から、秋鷹が木場の神様だったとわかる。罪をあがなった秋鷹が、自分を赦してくれたからこそ、罰を受けたかった。
被害者の親が木場が真犯人だと認識していたということは、冤罪逮捕で秋鷹は再審無罪になったんだろうか。木場は報復を受けてしまうけど、自首していなかったら刺されていたのは秋鷹だったろう。だからこそ、「自首してよかった」。自分の罪を他人に、愛する人に背負わせたままでなく良かった。
9時前には出られるという会話からも最後の朝日が日の出ではなく、モチーフとしての朝日であることは明白だ。自分の名で罪を引き受け、自首して社会的罰を受け、死という報復を受ける。そこで初めて偽りの生から蘇ることができたということなのだろうか。いつか罰が下ると想定していた木場は、自分の罪が法の裁きをもってしても赦されることではないという自覚があった。それは冤罪を着せてのうのうと生きてきた事実によるものではなく、あいする人から赦しを受け恩寵を受けた事実の重さからだ。裁かれる覚悟をしていたのに、裁かれる前に赦されてしまったから。生きていて良いと言われてしまったから。愛されてしまったから。
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