死の訪れの無い生は、生きているとは言わない。冒頭のページにあるアニーとゲイブが「愛さない」という両極の理由だけれど、そこには共通の「生きる」ことへの諦めがある。それをお互いが感じ取っていたかのようにめぐり逢い、ゲイブにアニーは助けられ結ばれる。アニーの生徒であるデイモンがゲイブに諭されるシーンがあるが、ゲイブの背負っている運命を読んだ後にはものすごい説得力を伴って納得させられる。アニーでなくてもこんなスーパーマンにはホレちゃいますが、いくら不死身でも、毎回痛みから逃れられない事は辛すぎます。日常を過ごすその中に穏やかな幸福を噛み締める二人だが、お互いに希望を捨てているのが悲しい。p106の見開き頁には、それを証明するかのような日没の暗さの中に先を照らすライトも点けず、バイクに乗る二人だけの空間が描かれていて胸に突き刺さるだけでなく、読み手の脳裏に強く焼き付けてくる号泣シーンだ。愛という名のもとにアニーに勇気と希望を持たせ、奇跡を起こし、自らには許しを勝ち取ったゲイブにやっと訪れる人生。神とはいえ罰としてのこの量刑は適当なのかと不満はあるが、仏教にある「雲の糸」も同じく、「愛」を知れ人間よ、とHQというドラマを介して伝えられたのかと余計なことを考えてしまった。