私の身に起きたこと ~とあるウイグル人女性の証言~
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私の身に起きたこと ~とあるウイグル人女性の証言~

清水ともみ

「知る」「伝える」努力(微々力ですが…

ネタバレ
2021年9月17日
このレビューはネタバレを含みます▼ 読後すぐにはレビューが書けず、その理由を考えていたのですが、「私は何もできないけれど、心の中で平和が訪れることを願っています」的な心情があったからかなと思います。この「心の中で願う」が私の中で免罪符のようになっていたのかもしれません。あくまで、私の場合です。
ぶっちゃけ、怖いのもあります。だって、こんなに非人道的なことができる相手です。何かアクション(というほど大袈裟でないにしても)を起こすことが、自分の不利益にならないかと、そんな不安がよぎります。いじめの傍観者に似た心情かもしれません。
小学生の頃、いじめられる側も傍観者も体験してしまった自分にとっては、触れたくない部分でもあります。「また、あんな目に遭うのは嫌だ」と見て見ぬフリをしてしまった自分の弱さに、今更ながらに涙が出そうです。別に、「自分がいじめをなくす」とか「いじめと戦う」とか、大きなアクションでなくても、こっそりでも、あの子に声を掛けられたんじゃないか、こっそり先生に伝えることができたんじゃないか。何より、自分がいじめられているとき、そうして欲しかったのに…できなかった。できなかった理由…自分がいじめられている時期、必要に迫られて話しかけたクラスメイトに、「〇〇ちゃんと話すと、今度は私が無視される」と泣かれたとき、自分の存在をとてつもなく悲しく思いました。30年以上経っても、鮮明に覚えているほどです。もう、そんな思いをしたくないと、私は傍観者を選んでしまいました。
言い換えると、あの時、1人でも自分に声を掛けてくれるクラスメイトがいたら、その子を糧とし、違った選択ができたかもしれないけれど、ただの一人も私に声を掛けてくれる人はいませんでした。
そのことを思い返すと、この本を読んだ自分にできることは、「知る」ことと「伝える」努力をすることかなと思いました。場所も思想も、自分がいる所とは随分離れていて、「別世界」と切り離してしまいそうになりますが、こんなにも身近なこととして置き換えることができると考えたとき、誰にも知られない、誰にも声を掛けてもらえないことが、絶望を増長させ、結果として非道を増殖させるのではないかと思いました。すぐにアクションを起こすことができるフォローさん方のおかげで、知り、考え、小さくとも反応することができました。ありがとうございます。
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