このレビューはネタバレを含みます▼
遅れてきた思春期のように、今、自分の中に笑平先生ブームが来てるんです。
え、そのカップリングで、その展開になるなんて、思ってもいなかった…という意外性の塊のような作品たちに出会い、ああ、多くのレビュアーさんがレビューを書きたくなるのも分かるなあ、と思っていたとき、この作品の予測できない展開の妙に加えて異形の者の持つ悲哀と、幸せとは何か?を考えさせる深さにやられてしまったのです。
勇者と魔王のように、見慣れた設定だと、説明がなくてもある程度関係性が思い浮かびます。
勇者はマジョリティーの、正義の象徴で討伐する側。
魔王はマイノリティーの王で、悪の権化、討伐される側と。
しかし、魔王ウィスペド視点で描かれる本作は、絵柄こそインパクトはあるけれど、読んでいるうちに、彼の繊細な、しかし魔王という役割を引き受けざるを得ない運命に殉じて諦念を漂わせながら生きる姿が描かれるのです。
そこに登場する、人間・トゥルー。彼もほかの勇者同様、魔王を討伐しにきたかと思うと、様子が違う。実は、無知・無邪気・怪力のトゥルーも、人間界で持て余され、迫害され…、という、ウィスペドと同じ人間界のマイノリティーだったことが明かされるにつれ、ウィスペドの中に起こる感情の変化。異形の存在だけれども、誰よりも人間らしい彼の感情の動きに、思わず共感し、彼がトゥルーの言葉にときめいたり、真っ赤になったり、タっちゃったり(笑)する姿に、何とも言えない幸福感を感じるのです。
ウィスペドの側近ステイのツッコミも冴えていて、めっちゃ不意打ちに笑わせたかと思うとトゥルーのピンチに涙して…と感情がジェットコースターのように上下して、ホントにタイトルからは予測不可能な展開に「天才か?」とつぶやきたくなるのです。
私は読んでいて「泣いた赤鬼」を思い起こしました。異形の存在である青鬼が友人である赤鬼を大切に思うあまり、あえて人間に嫌われる役を引き受ける。何度読んでも泣いてしまうあの物語の青鬼のような存在のウィスペド。しかし、原作の犬時先生は、孤独だった彼を救済してくれてて、これまた泣けるんです。作者様の優しさに。
勇者と魔王設定を、まさかの視点で感動作に仕上げた犬時先生。これが最後の作品だそうですがもっと読みたかった…笑平先生も。