困った人がいる。迷惑の度を越えている。むしろ周囲の人間に有害でさえある。
こんな時も、人は行動に踏み出せず、黙認してしまうことがある。それらに手を拱いて挙げ句に暴走さえ許してしまう事もある。
健全に機能している組織なら、禅譲に誘導するの
だろうが、歴史を見ても、力付くで押し切り、居座り、そして横暴さをエスカレートさせて振舞い、しまいには極悪非道の独裁者に。
安定との美名の元に力を集中し、強烈なリーダーシップと他人に残酷なのは紙一重なんだと思える。
このストーリーは、力によるクーデター(支配層内部で起きたから。民衆なら階級の序列の引き直しとなるので、革命)で国の再生に自分を犠牲にしても、完膚なき迄に徹底的に力で排除された方にも感情があることを表す。
悪人といわれる者達にも家族があり、家族には情もある。皆が皆悪人ではないのだ。
しかし、やられたらやって当然なのか? やり返す程度はどのくらいなら許されるのか?
歴史は政権転覆があると、旧体制の一家は根絶やしの例が多い。
ここでは人間の営みが、勧善懲悪の二項対立ではないことを描写。悪人さえ理想を求める日々があったことをも。主人公キリの存在自身を通じて、人間の矛盾と観察、その時々の考え方を、割り切れない数々のこだわりや、他人には人でなしであっても自分の親であるという一面が、キリに、終末的光景を前にしても事態を放置させる。正義を主人公に安易に振りかざせない。その反面、社会に好ましからざる人間が親であるなら、子がそこを改める、という方向転換をも見せて救いの描写を用意。
絵は個性があり、国籍を特定させないで、砂漠のある国の設定が、時代や地域を超越。
この話が、主人公キリを、イケメンにさせないのはわかるとしても、私は、個人的にしゃくれ顎かを好みでないのだ。
神坂先生の絵って、こうだったっけ?と、私の思っていた画風と余りに異なるのは、知っていた時期の作品ではないかららしい。
話の見せかたは、醜さが固定されない結末の安堵感で、読者をフォロー。
しかし終始甘さのないファンタジーだった。天使は出てきても、迷い人が軽はずみに毒づく。心の奥の暗黒面を炙り出す。
コミック世界の多様性に改めて感嘆。
日頃、ハピエンのロマンチックコメディを中心に読んでいるが、甘の他の、酸・辛・塩・苦など、本来の多様性をたまに味わうと自分の受容体が広がるようだ。
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