囀る鳥は羽ばたかない
」のレビュー

囀る鳥は羽ばたかない

ヨネダコウ

どう救済されるかを、最後まで見届けたい…

ネタバレ
2021年7月30日
このレビューはネタバレを含みます▼ 幼児に性的暴力を振るう胸くそ悪い連中(言葉遣い失礼)の多くは、子供が他の大人に助けを求められないよう「俺にこんなことをさせるお前が悪い/お母さんに知られていいのか?/お前だってこれが好きなんだろ」などと子供を一方的な暴力の被害者ではなく共犯者に仕立て上げることで抵抗を封じるといいます。事の発覚をまぬがれ、或いは自分の罪悪感を軽くするための卑怯の上塗り。立場でも力でも論理でも自分を守る術を持たない幼い矢代がまんまと餌食にされていく様は、見ていて悔しくて吐きそうでした。
望まない性行為を強要され体も心も屈服させられた苦痛を一人で抱えるしかない子供は、苦痛を緩和させる自己防衛として例えば多重人格* や記憶・感覚・意欲の減退、摂食障害や薬物依存などに陥ることも多いといいます(そういえば『残酷な神が支配する』のジェルミや『gift』の勁もそうでした)。「とりあえず生きているだけ」という矢代の言葉に、生きたいとか死にたいとか思う熱量すら持てない彼の乾いた絶望が浮かび上がるようでした。
これまで無価値なガラクタのように自分の体を男たちに投げ出し暴力的性 交を重ねてきた矢代にとり、彼を傷つきやすいもののように隅々まで優しく慈しむ百目鬼の愛し方は、過去に傷ついてなどいないと思い込もうとしてきた矢代の根幹をぐらりと揺るがしたはず。それは吐き気を伴うめまいのような感覚だったことでしょう。
傷ついた自分を認めることは、耐えがたい悪夢も同時によみがえらせるということ。それゆえ通りを歩く母子の姿から目をそらしたり(7巻)記憶を喚起させるものを直視せず固く封印してきた。しかし辛い時には辛いのだと、悲しい記憶を悲しかったのだと感情を解放させることでしか救われない苦痛もある。暴力に泣いていた幼い自分の幻影を見つめ涙した矢代の表情に、ここからどうか救われてくれと祈らずにいられません。
愛し愛されたいと願った友人のためにヤクザに身をやつした矢代。以降の凄惨さの殆どを知らない百目鬼が矢代の本質をそれでも「綺麗だ」と肯定したことが重要だと感じます。
ヨネダコウ先生がこの物語のテーマの1つに「(魂の)救済」をおいていらっしゃるなら、矢代はきっと救われる。それがどのようになされるのか、佳境に入りつつある物語をみなさんと一緒に見届けたいです。

*現在は解離性同一性障害と言うようです
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