宝石の国
」のレビュー

宝石の国

市川春子

これは、彼方の仏教説話

ネタバレ
2024年11月30日
このレビューはネタバレを含みます▼ 追いかけ続けて良かった、無事の完結に感無量です。
1巻だけ見るときららかなファンタジーアクションですが、巻を追うごとの展開に、これは「仏教説話」である、と自分は位置付けました。がっちり辻褄合わせをするものではなく、思考の媒介となる物語。説話としてのタイトルを付けるなら、絵本「みろくフォスフォフィライトさま」でしょうか(「おしゃかさまの一生」や「じごく」みたいな)。何てったって全108話ですし。
仏教ベースであるために、人間に対する評価がとても否定的、この世は「苦界」であり、その業や苦しみの輪廻から抜けて無(涅槃、解脱)を目指す、という構造になっていると思います。その構造の中での偉大な存在を描くために、徹底的な孤独(1話目で「味方はおまえだけ」とひとりごちる場面からスタートする)と苦難がフォスには与えられています。
「何もできないひとりぼっちの弱い存在」であるフォスが、かわいらしい幼年期から少年、青年期を経て悟りに至り、その先の安寧を得る。宝石であるフォスが人間的「成長」をするためには物理的な交換が必要になり、そのための喪失と獲得には毎度心が痛み、特に頭部の挿げ替えが、大学で思想を植え付けられるのを連想してしまっておそろしかったです。
フォスは人間の象徴であり、我ら人間もまたフォスである。草原でひとり彗星を見たあのフォスは、フォスであり、私であり、また、あなたでもある。螺旋を描く時と場所のはるか彼方、円環の閉じるその場所で、私たちはあの「きぶんをあかるくする」薄荷色に出会い、それぞれ進んでいくのでしょう(連載終了時にポンス・ブルックス彗星が地球を訪れています)。
その他、地蔵菩薩と対で描かれる閻魔大王、冥府とは何か、全ての衆生を救う弥勒菩薩、妙見菩薩という人を導く北極星、西の浅瀬(三途の川)、それら仏教的な視点からいろいろ考えるのはとても刺激的でした。
…ただですね。子持ちの身としましては、フォスという無垢な子供を唆してすべてを負わせたエクメアがどうしても許せないんです。ウチの子に何すんのよ。最小の犠牲で最大の幸福、でも意図的に罪なき子供を犠牲にすることを、私は良しとしません。物語の調和から外れても、この怒りと己の無力への呪いは大切にしたいと思います。そして不可能でも、ラピスも救われる道を模索したい。
…1000字じゃ全然書き足りませんね。
羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。
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