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今月(10月1日~10月31日)

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シーモア島
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投稿レビュー
  • オリヴィア嬢は愛されると死ぬ ~ 旦那様、ちょっとこっち見すぎですわ ~

    紺染幸/DSマイル

    呪うカミラと空腹のオリヴィアと朴念仁ども
    ネタバレ
    2025年9月16日
    このレビューはネタバレを含みます▼ 容易に言葉や文章を世に出すことができるようになり、
    「世界に出る物語が増え」多様な「海」があることを
    知ることができるようになりました。その一方で、
    安易で乱雑な文(と編集)の悪意も溢れ、
    「言葉は変化するもの」と正論を吐きつつ、
    本来の言葉の持つ響きやその意味、用法などが軽視され、
    きれいな言葉に触れる機会も減ったように感じます。

    「私が言葉のことで手を抜くと思うか」
    そのクラースの言葉の通り、本作では「広大な海」を表す
    一つ一つの言葉が丁寧に吟味され、間違いのないよう、
    慎重に選びとられ、五と七のリズムを刻みながら、
    やさしくて、かなしくて、さびしくて、しあわせな、
    愛の物語が季節の移ろいと共に静静と紡がれていきます。
    そうした作者の「海」にたゆたいながら、
    「すべての文章がこうだったなら」
    と思ってしまいました。

    また、死を望まれるオリヴィアはやはり春を迎えることには
    なりますが、それは運命の先送りであって、結局
    死とは逃れられぬ私たちの運命であり、
    そうした運命を見つめながら生きることの大切さが
    根底に横たわるテーマとなっているように思います。

    「どうせなら楽しく」「死ぬ前に一度だけ」
    そんな勇気と覚悟を持つこと、
    大切な人に伝わらない想いを日々伝えること、そうした、
    毎日を過ごすなかでつい忘れてしまいがちなことを
    死を見つめるオリヴィアに改めて気づかされます。

    ただ、近年つかわれるようになった「真逆」
    その言葉の響きがとても現代的であるために
    そこだけささくれだっているように感じられて
    ほんの少し、残念に思いました。

    古くから大切にされてきた言葉という音が持つリズムと
    ひとの真心に触れることのできるすてきな作品です。

    「わわわわ、と揺れている」
    花花の幸福の余韻に浸りながら。
    いいね
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  • 拝啓見知らぬ旦那様、離婚していただきます

    久川航璃

    綴織のタペストリーのような
    ネタバレ
    2025年6月14日
    このレビューはネタバレを含みます▼ 美しい物語を織り成す緯糸が結び合い、表からは見えない経糸でしっかりと支えられているようにとても緻密な構成となっています。一つ一つの言葉が示す意味やエピソードが、登場人物たちの行動、心情の背景をきちんと理由付けしていて、それらを拾い集めながら物語を読み込んでいく楽しさがありました。

    バイレッタは一見自立心旺盛な強い女性のようですが、実際は夢見る乙女であり、社会制度とその美貌ゆえに尊厳を踏みにじられてしまうことへの抵抗と、夢は夢だという諦観のためにレゾンデートルとして自由を希求しているように見えます。
    その彼女が八年も嫁ぎ先で「存外居心地よく」過ごすことができたのは義父が彼女自身とその才能を認め、自由を許していたためでしょう。その結果旦那様との邂逅を迎えてしまいます。さすが。義父グッジョブ。

    一方、八年もの長きにわたる戦争とその終結によりもたらされる病的な心理状態、好戦的ともとれる妻からの離婚要求の手紙に見る、新たな敵を得た高揚感、さらには過去の悪女の忌まわしい記憶が相まって、アナ ルドは「初手を誤り」ます。しかしこの「誤り」への反省が結果として他者や自分にさえ関心が薄く、感情の希薄な彼の心を妻に向かわせ、彼女への興味と理解を深め、愛と執着を深めていくことに繋がり、それが夢見る乙女が本当に欲しかったものともなっていきます。
    つまり、「初手の誤り」がなければ彼が妻に関心を抱くことも恋に落ちることもなかったのだろうと思います。

    しかしこうした背景や繋がりが示唆されているに過ぎないところも多く、物語の成り行きに納得し難いところもあるかもしれません。コミカライズではその辺りがもう少し分かりやすくなっていて、とても魅力的な表情が丁寧に描かれています。

    男と女の間に横たわる日本海溝より深い溝を前に、行き違いと誤解から始まる二人が夫婦となっていく過程の中で、バイレッタが本当に望むものが見えてくると旦那様を応援したくなると思います。一先ずの結末を向かえる2巻目までは読まれることをオススメします。
  • 昨日まで名前も呼んでくれなかった公爵様が、急に溺愛してくるのですが?

    三月叶姫/whimhalooo

    伝えること。伝わること。自戒と共に。
    ネタバレ
    2024年12月4日
    このレビューはネタバレを含みます▼ 一巻の前半ではどうやら死に戻ったらしい公爵アレクシアの奇行ともいえる妻への溺愛ぶりにやや辟易してしまいますが、後半ではその溺愛の理由が明らかにされ、むしろ胸が痛みます。またこのアレクシアのようにどれだけ強い立場にあっても、病気や事故、失業などで誰もが穴ぼこに落ちてしまう可能性があり、そうした人に対し、自業自得だ、自己責任だと石を投げつけるかのような周囲のあり方が現代社会の縮図のようで、社会的弱者の目線から考えるきっかけを得られるかも知れません。
    実は、こうしたやり直しの物語を読む度、少し羨ましくなります。現実には一度発した言葉や下した決断は取り消すことはできず、どこまでもその責任を負うことになる。そうしたことに大抵の場合は無自覚で、後になってその重大性に気づくことになってしまう。相手に向けて放たれた言葉は宙を漂い霧散するのではなく、必ず相手に届いてその心根に残るもの。だから取り返しのつかない今を生きていることに自覚的であり続け、慎重に言葉を選び、誠実に、心を尽くして考えを伝える努力をし続けなければ、あっさりと大切なものは失われ深い後悔の中生きることになるからです。
    明日も今日の続きがあるとは限らず、いつ、大切な人との別れが訪れたり、言葉を伝えることができなくなったりしても不思議ではなく、今、目の前に大切な人がいて、自分の想いを伝えることができると言うことは巻き戻しのできない私たちにとってもじつは奇跡的なことなのだとアレクシアの「愛している」という言葉が示してくれています。
    二巻以降も物語は続きますが、ひとまず一巻だけでも納得のいく物語となっています。様々な示唆に富んだ作品です。
  • 巻き添えで異世界に喚び出されたので、世界観無視して和菓子作ります【単話】

    和泉杏花/天乃こと

    災害としての異世界召喚、聖女という徴兵
    ネタバレ
    2024年11月15日
    このレビューはネタバレを含みます▼ 長年の夢の実現を前に突然異世界に召喚され、現実として受け入れられないさゆりの姿に、かつて見た被災者の方の姿が重なります。「目の前の光景が現実と思えなくて」「夢を見ているみたいで」そう言って茫然とし、泣くことさえできずにいる女性の姿を思い出しました。夢の実現のために重ねた努力も苦労も無に帰すかのごとく、突然すべてを失うことはまるで災害のようで、そこにリアリティーを感じてしまいます。
    やがて現実であることを認識し、さゆりはすべてを失ったことを悟ります。しかし、そうした不条理にあっても職人の厳しい修行の中で努力し、築き上げたものが自分の中に確かにあることに気づくのです。誰によっても何によっても奪うことのできないものがあることに気づいた彼女は再び夢に向けて立ち上がります。その姿に人としての強さとは何か、ひとが拠って立つところのものとは何か、困難に直面したときに立ち直るためのヒントを得られるかもしれません。
    また、小豆は古来より邪気を払うとされ、漢方でも用いられてきたことや、白いんげん豆の効能などを考えると内側からの浄化を担う聖女のモチーフとして和菓子は相応しいもののように思えます。
    一方、国家のためにといった大義名分のもと、何人も個の権利を踏みにじられてはならず、各々の幸福は尊重されねばならない。そんな基本的なことさえ見失われてしまう状況下でもユリウスはそのことにきちんと気づいているようです。
    もう一人の聖女リオはまだ子供で現実を受け止めていないのか夢の中のようにはしゃぎ、花を咲かせていきます。こうした反応にもまたひとつのリアリティーが感じられます。やがて、夢から覚めていくのでしょうが…。
    外界と内界それぞれの浄化を担わされる、一見対照的なしかし対称として召喚されたであろう二人の女性の今後がとても興味深いです。美しく、清潔な描線は和菓子を扱う作品にぴったりです。できれば原作でも読みたいです。
  • 聖女の姉ですが、宰相閣下は無能な妹より私がお好きなようですよ?

    渡邊香梨/甘塩コメコ

    学びの意味
    2024年10月24日
    異世界に転生した主人公が「前世の知識を使って」等というとき、活用されるのは日常生活に即したものだったりします。それも大切な知識です。しかし本作で主人公が活用するのは、私たちが受験のためにと学校で学ぶ知識です。よく、学校で学ぶのは「私」の将来のためだといわれます。それもほんとうです。しかし、もっと大切なのは学んだ知識は「私たち」の間違いに気づかせ、自分だけでなく、社会や大切な人を守るための武器となり、盾となるということです。
    表面化する様々な問題は気付きがなければ解決には至らず、問題の経過と根本にある原因への推測には知識が必要です。そして多くの人が知識を身に付けることで多様な視点が生まれ、各々の角度から事象をとらえ、誰かが問題に気づく可能性が高まる。さらに未来について予測ができる。残念ながら「私たち」は時として間違う。しかし、誰かが間違いを指摘できれば修正は可能です。それは専門家だけにまかせておいては十分に機能しません。
    また、知識なくして考察を深めることはできず、知識の豊富さが思考の深さに比例します。だからどれだけネット上に情報が溢れ、AI が発展しようとも私たちが学ぶことの重要性は変わらない。人は考える葦であるといいますが、考えるためには知識が必要だということです。そんな当たり前なことについて改めて考えるきっかけとなりました。
    主人公の性格はちょっと…なんですが、知性と知識を活用して問題を解決していく姿は爽快でした。タイトルは損しているように思います。
  • 死にかけ悪役令嬢の失踪

    和泉杏花/鈴ノ助

    気付きと再生、あるいは寓意
    ネタバレ
    2024年6月26日
    このレビューはネタバレを含みます▼ 問題はそれが「問題である」と気づかなければ問題とはならず、それが「問題だ」ということに気づくことにより、ようやく問題となる。だから「解決」のためには問題であるという「認識」が必要となります。例えば近年問題視されるようになったヤングケアラーは以前は家庭内のお手伝いをする「良い子」と認識されてきました。それがその子の時間だけでなく将来まで奪う可能性があるにもかかわらず、です。そうした搾取の可能性に気づいてようやく「問題だ」と認識されるわけです。しかしそこに悪意はなく、善意と感謝があるのみです。また親を手伝うのは当然といった道徳観や躾の一環という考えがあるかもしれません。だから、当事者が一番気づきにくい。シレーナもまさに家族を支え、助けることで自分の居場所を確保しようとし、疲弊し、本当にやりたい事には目を瞑り、そして未来を奪われてしまう。しかしそうなってさえ、彼女は自分の問題に気づけない「良い子」なのです。もし、婚約者であり続ければ、彼女の未来はより閉ざされていたかもしれません。 物語の大半を占める療養生活では、この「気づき」の過程が丁寧に描かれています。暗い海の底は静謐で、深い精神性とシレーナの愛着により癒しと自由の空間であることが示されており、地上の喧騒、現実との対比がより明瞭になります。そこで先生と海の生き物たちに温かく見守られながらシレーナは肉体の再生だけでなく、自分自身を取り戻し、未来へと再生していきます。その過程はアレゴリーでもあるようで読む人自らへの問いかけや気づきのきっかけともなります。「それは私がやるべき事なのか」「本当にやりたい事とは、自分の幸せとは何か」を読者も考えることになります。これは子どもはもちろん大人にも大切なテーマといえます。また、細かな描写はありませんが、シレーナを失った人々の苦労は想像に難くなく、そこがいわゆるざまあになるかもしれません。強いて言えば家族よりも、自分を大切に、自分の幸福と未来について考え、向き合うことが復讐となるように思いました。色々と考えさせてくれる良書でした。コミカライズも往年のホラー漫画のような繊細で大変美しい作画となっており、見ごたえがあります。そちらもオススメです。
  • おひとり様には慣れましたので。 婚約者放置中! 【連載版】

    晴田巡/荒瀬ヤヒロ

    鳥籠から空へ
    ネタバレ
    2024年6月25日
    このレビューはネタバレを含みます▼ 永らく、洋の東西を問わず様々な常識や価値観、制度などにより女性はその生き方を制限されてきました。それは「実は女性は大胆かつ行動力があるから自由にするとどこまでも飛んでいくため、やがて国が滅ぶからだ」という考察をきいたことがあります。(実際、日本の地方ではその傾向がみられ、ジェンダーギャップ指数において日本よりはるかに上位にある国々でも出生率は低下しています。つまり、経済的事情だけが理由ではないことが示唆されているわけです。)一方で、そうした社会制度の下では女性は守られる立場とされ、子育てに専念できる(させられる)わけです。自由な生き方には責任と自らたたかうことまでが求められるからです。はじめはそうした封建的な社会の中で常識的に婚約者を慕い、規範に則って関係を深めようと努力したニコルも彼女の尊厳を護ろうとしない婚約者のあまりな対応に傷つき、絶望し、やがて気付きを得て若者らしい行動力を発揮し、「自由」を知ります。そう、だからこそ「事態は深刻」なのですwこの構図が現代に通じると感じる所以でしょうか。一体、自由になった彼女はどこまで翔んでいくのか。婚約者の立場にあぐらをかき、若さゆえか、彼女への想いを示さず、言葉足らずなだけでなく、彼女を守るという努力を怠ったケイオスに今後求められるのは羽ばたく彼女の、もはや止まり木に過ぎないでしょう。2巻では、その慌てる表情からこれまでのケイオスのニコルへの想いがよく伝わり、作者の力量が感じられます。コミカライズとはかくあるべきかなと。彼女に振り回されながら、彼女のためにどんな止まり木になれるのか。二人の関係性がどうなるのか、今後が楽しみです。