MONKEY PUNCH
」のレビュー

MONKEY PUNCH

寿たらこ

2人が分かち合う “痛み” の名は

2021年11月7日
(69ページ 11/14までセール300→210pt)

人間が最初に獲得する感情は “快・不快” だという。生まれて間もない赤ん坊は、空腹や眠気、暑さや寒さ、痛みやかゆみ、湿ったおしめなどの“不快” を泣いて訴え、取り除いてもらって “快” を得る。
そうした快と不快の感情はいずれ “喜“・”楽” 、“怒“・ ”哀” へとそれぞれ分化していく。
もし、泣いても不快を排除してもらえないことが続けば「泣くことは無駄だ」と学び、不快の感情を他者に伝えようとすることや感じること自体を放棄し始めるそうだが、問題なのは不快の感覚を失えば対の感情である快感も得られなくなってしまうことだという。なるほど、「心地いい」と言えるためには前提として「心地悪い」ものの存在をも認識している、ということだ。不快を感じないなら、快感もない。

5才で別々に引き取られた双子の兄弟・基親(もとちか) と宇隆(うりゅう)は間もなく、互いが傍にいない時には「痛み」を「痛み」として認識できなくなる。本来は気を失うほどの激痛を伴う怪我ですら、痛いと感じない。“不快” 感に直結する痛覚を失うということは怒りや哀しいという感情を失うということであり、その結果 “快”感が導く喜びや楽しいという感情も同時に人生から消失することを意味する。それは絶望的なまでに無感動で虚ろな時間を生きることにならないだろうか。

それ故、逆説めくが、まるで「殺し合い」だと周囲が懸念する成長した2人の流血バトルは、実際は「生かし合い」に他ならない。
2人が揃うことでまざまざと甦り襲いかかる激痛。それは空漠とした時間の流れに不意に落とされる爆弾。リアルな手触りを伴う感情の劇的な覚醒。「生きている」という痛いほど強烈な実感を互いに与え合う行為。
そういう行為を私たちは普通、愛と呼ぶのだ。
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